畜生のすみからすみまで特選情報局。

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畜生 子を持って知る 親の預金

最近、ウトウトしている長男に『眠いんでしょ~ニヤリ?』と言うと眠くないしムキーただ考えてるだけ!と反論してきます。
何を!?(笑)
Σ(´∀`;)
どこで覚えたのか…
そして何を考えているのか…
別に咎めている訳じゃないのに
やたらと強気です(^_^;)




さて、タイトルに関して……勿論、本人の持って生まれた資質や生育環境も人格形成に大きく関係してくると思いますし、どんな環境でも反面教師にして立派に成長する人もいるとは思います。
が、私の経験上……高確率で【クズの親は同類のクズ】です。(親がクズだと子も高確率でクズとも言えます)
何故って?私の父方の親戚ですが叔父叔母、従兄従姉合わせて9人いるのですがクズ名鑑が作れそうな勢いで反社会的、倫理観なし、良識なしの人間がいます。ヒロコちゃん(実母)とのトラブルもあり現在父方親戚とは絶縁状態です真顔
アンタ、絶縁状態の親戚多いなとは言わないでくださいタラー母方とは普通に付き合ってますからね!いや、私もよっぽど他人の方がマトモな人間が多いなと思いますよ。どうして身近にこんなにも?と思いますが、よくよく観察するとあの親にしてこの子ありな状態です。
まず、従兄(父の兄の子供です)
他人の家に物盗り目的不法侵入した上、家人と鉢合わせになり手を出す。結果強盗致傷でブタ箱行き
ごめんなさい。初っぱなからガチの前科者の話で滝汗従兄弟の中では私が一番年下で、私が中学に上がった頃から他の従兄弟達も忙しくなり盆休みや正月に本家(川田実家)に集まるのも叔父叔母のみということも多くなり久しく会っていませんでした。
そんな中、ヒロコちゃん経由で従兄が犯罪を犯して捕まったこと。叔父夫婦の居住地域では珍しい苗字だった為、新聞に事件が載ってしまい周辺住民の知るところとなり叔父達はそこに住み続けられず一軒家を売却して引っ越したこと。を聞いていました。
従兄の印象は無口で少し不良っぽい感じのお兄ちゃんでしたが小さい頃はわりと遊んでもらった記憶もあり普通に笑い掛けてくれたりと犯罪にまで手を染めてしまう様には思えなかったので話を聞いたときはまず【何故?】と思いました。ただ、一般的には絶対に越えない線を越えているので倫理観、良識が著しく欠如しているのは明白だなと……
そして、従兄の事件を聞いた後…実家に叔父叔母が集まる機会がありましてそこで従兄の事件の話を叔父がしていたのですが更正させたいとか自分の教育が良くなかったとか何かしら悔やんだり悩んだりしているかと思ったら……
何て言ったと思いますか?
ホント、呆れますよ。
『チエミ(従兄の嫁の名前)
悪い。



はぁぁぁ~~!!?
(;゚Д゚)


んなわけあるかッ!!


犯罪は犯した
本人が悪いだろうが!!



何でしょうね滝汗本当にドン引きでしたよ。一言も自分の責任や従兄の人間性には触れず終始『嫁が悪ぃ!!金が無ぇ、金が無ぇ~言うからうちの○○(従兄)は仕方なくやったんだ!!』と言っていました。
お金がないって嫁から言われ
普通は強盗しねぇよ(#゚Д゚)ノ
叔父(父の兄)
上記の思考パターン、発言でも分かる通りかなり偏見と差別意識があり人の話は聞かず物事に対する視野も狭いです。
仕事はタクシー運転手ですが『外人は乗せない。奴らは犯罪をしに来てるんだ。』等と平気で口にします。
また、他人を尊重することがなく特に自分が見下している人間に対する態度が冷淡で叔母がうちの母に金を無心して(180万)借りパクしようとしたときも『返して欲しい』という母に対して『姉ちゃんには世話になってるんだからそれぐらいくれてやれ!』と姉に加勢。
いやいやいやいやいや~タラー
確かにヒロコちゃんアスペだし
弟の嫁で軽く見てて嫌いなのは分かるけど…
それに………
世話というかイビられ
てるのなら見たけど?
ヒロコちゃんは全く気にしてなかったけど
結構、辛辣な言葉を吐いてたよ~!



可愛がりってやつですか?
(・_・)


本当に、70年近く生きていてこの程度の人間性しか育たないって……
御愁傷様です。



叔母(父の姉)
外面は非常に良く、地元でも地域活動やスポーツ振興に尽力しており周りから【先生】等と呼ばれている。他人に対してはかなりの見栄っ張り。ただ、こちらも叔父同様に見下している人間、軽んじている人間に対してはとことん冷酷で良心の呵責など感じず利用しようとする。
父が病死し祖母も死んだ後、川田実家(本家)に1人残った母に対して(本家の土地が死んだ祖父名義のままになっているのをいいことに)この土地、おじいちゃん名義だから私に権利があるの。アンタ、出てってくれる?出ていかないなら私の持ち分、売ってあげてもいいけど?』と祖母の葬式から間を置かず平然と言い放ちました。


確かに法的には権利があると思いますが本人、びた一文払ってませんからね!私の両親が結婚と同時に祖父母と同居して建てた家(家の名義は父)なので祖父母と両親で折半して返済してますから。



どう思いますか?曲がりなりにも親戚付き合いを30年以上してきて義妹(だいぶ変わっていて失言は多いですが滝汗)に対してこんな言葉、言えますか?
しかも旦那が死んで姑も死んで嫁いだ家に1人っきり。嫁いでから何十年も経っているので生活基盤も交遊関係もその土地にあるんですよ!そこから追い出そうってどんだけ鬼畜だよ!しかも出てかないなら金よこせって………



渡鬼(ドラマ)だって
ここまで酷くないぜ?
(´д`|||)

それとは別件で母から借金して(ヒロコちゃんもこんだけ辛辣なのに『お姉さんに頼まれたから』とか言って貸しちゃうんだわタラーアスペだからなのかヒロコちゃんだからなのか人の悪意に驚く程鈍感なんですよね……で、変に義理堅いから親戚という理由だけでお金貸しちゃって…)当然の如く借りパクされそうになっている(笑)
もう、この人間性ですからね。はした金ではなく180万なので倹約家の母なら余裕で一年暮らせる額です。ホント、何でもアリですよ。再三、『父も死んでてそれは母の生活費だから返してくれ!!』って言っているのに……
最後、何て言ったと思いますか?
『返せないものは
返せないわよ!!!
(*`Д´*)





清々しいほどの
開き直り(笑)



キング オブ 
の称号をおくりたい真顔
まぁ……こうゆう自意識と自尊心がやたら高いくせにモラルの無い自己中人間に何を言っても無駄なので軽く裁判起こしてやりました(笑)


母が叔母に貸した債権を私が譲り受けたという形式をとり私名義で本人訴訟起こし(夫が法律に詳しいので裁判資料は全部作って貰いましたキラキラ)当たり前ですが勝訴です!
借りたものは返さないとね
( ´ ▽ ` )ノ



その他にも老人保険施設に入っていた祖母の遺産を一千万円以上使い込んでいることがわかり(←叔母が実家の土地の権利を主張し母を追い出そうとしたときに祖父母の遺産について土地だけ母に譲ってもらって他の預貯金などは叔父と叔母で分けてもらって構わないという話で纏めようと祖父母の遺産目録を作ろうとしたところ銀行口座は本人の死後に勝手に解約されており不自然な点が多かったので出金履歴を取り寄せたところ判明)
ねっ、本当に凄いんですよ祖母が老人保険施設に入居中も『世話しにいきます!』って言ってる母に『アンタが来るとおばあちゃんの精神病が悪化するから来るな!』とか言って遠ざけておいて……いざ、ばぁちゃんが死んだら『嫁の癖に世話もしないで!!全部私がやった!』って責める責める……
遺産使い込んだあげく…

住み慣れた土地から
義妹追い出して更に
金が欲しいって……


本当に人間かな?って感じですけどね~
最初は憤りを感じていましたが清々しいほどのクズっぷりに夫婦で【来世があるならきっと四つ足(畜生)だね】と呆れています。私に特定の信仰はありませんがロクな死に方しないだろうなと思います。
なので、叔母の持ち家の登記には私からの【仮差し押さえ】の履歴と現在進行形で【抵当権】がしっかり記載されています(笑)姪ッ子から裁判を起こされるという不名誉を進呈してやりましたよ。登記に消えない傷もねニヤリ
自業自得
不義理、不誠実はいつか自分に返ってくる…



……と、まぁ~クセが強い屑が3/9もいてですね。他にも平然と自分の叔母(ヒロコちゃん。うちの母親)に向かって『マトモじゃない』と言い放つ従姉やら…←叔父の娘。そんなにうちの母と接点がないので叔父夫婦がうちの母の悪口を話しているのを聞いていて見下しているのだと思います。ただ、この従姉も万引きやら実家に泊まりに来た際は母や私の財布からお金を盗んだりと結構マトモじゃない(笑)のであの叔父の娘だなと納得の感じです。
で、そのクズリンピックがあったら金銀銅メダルを独占できそうな叔父、叔母、従兄姉の上の世代はというと………
祖母外面は良いのに身内の前では『ボケた人は皆、ガス室みたいなところで処分すればいい。何の役にも立たないんだから。』と言い放つ差別偏見持ちの独善的な人間。
祖父祖母からは敬われていたが(実家では男尊女卑思想があり食事や風呂の順番も男が先で同性の場合は年長者が先というルールがあった。)その実、母に聞くと職が長続きしなかったようで…自尊心だけ高いのに実力や努力が足りないタイプだと推測。
歪んだ環境や思考で育てられるとまぁ……
っ直ぐ育たないんでしょうね~チーン半分くらいが父方は屑ですよ。ホント、他人様の方がよっぽど優しいし親切だと思います。


私も社会に出て意地の悪い人や他人同士がトラブルになるのが好きで関係が拗れるようにわざと仕向けてくる人……等々、多少の悪意のある人間を見ることもありましたが身内より酷いのは見たことありません(笑)



私の境遇が稀なのか……親の影響って多分にあると思います!クズの子はクズ。



他人事だと思わずに私も親の立場なので、聖人とまでは言わないまでも最低限、他人に対して思いやりと慈しみの心を持ち合わせる子になるよう反面教師にしたいと思います滝汗
人間を育てるって難しい……自分も一緒に育てるといいな……と思う川田ですニコ




厳選! 「畜生」の超簡単な活用法7個

終戦後、日本へ引き揚げる民間人の史実です。

*再編集しました

日本と戦っていた中国人でさえ、親と離れ離れになった日本人孤児を我が子と同様に育ててくれていました。

中国残留孤児等で、日本に永住帰国した人数は、平成17年度までで20,102名(家族を含む)になっています。

温かい中国人に育てられたそうです。厚生省HPです。

それに対して恩を仇で返す朝鮮人ときたら・・・日本と朝鮮は戦争したことはありません。寧ろ中国とソ連(旧ロシア)からの侵略を防いで守っていた立場でした。

中国残留孤児がいても朝鮮残留孤児が一人もいない理由は皆殺しされたから。
大人の男(高齢者)は虐殺、少年や青年はシベリア送りで強制労働。女性(少女含む)は性的暴行の対象、逆らえば殺害。男児、幼児たちは用無しなので皆殺し。

命からがら逃げ帰った人は139万人

不思議を感じさせないほど、日本人が殺戮されたため、誰もその真実を伝える人が残っていないというのが本当のところなんですね。

一体何万人、何十万人が殺されたことか。

日本は、それらの虐殺された人々に対する補償を訴えるべきです。

虐殺があったということを、記念館を作って歴史に残すべきです。
真実を、外国の圧力で歪めてはいけないと痛切に思っています。

二日市保養所、戦後の日本人引き揚げ時の朝鮮半島での悲惨な史実、アメリカの社会科教科書として採用された『竹林はるか遠く』から抜粋しました。

二日市保養所 終戦後、在満・在朝の女性は過酷な運命を辿った。度重なる強姦を受け妊娠する者、自殺する者が相次いだ。引揚者の治療をした医師は女性の性的被害の多さに愕然とするしかなかった。そのような女性の治療のため二日市保養所が設けられた。日本人女性を強姦した男の過半は朝鮮人であった。

戦後の日本人引き揚げ時の真実は、

語り継いでいかなければならないと思います。
繰り返しますが、

日本国民として一緒に戦争していた朝鮮人は、

日本が敗戦すると知ると手のひらを返して日本人に対して、

略奪・強姦・虐殺などあらゆる暴虐の限りをしたのです。

ソ連の裏切り・火事場泥棒強盗殺人犯罪に絡んで
日本人引き揚げ時の朝鮮半島での悲惨な史実~朝鮮人の犯罪です。

そもそも朝鮮は、朝鮮側からの要望もあり日本統治され、当時のお金で2兆円の予算を投入しインフラ・病院・学校を整え
発展し、朝鮮人の寿命が伸びた事実があります。

戦時中は、共に戦いましたが、
日本が負けた事を知るとソ連の戦争参入に便乗して日本人を虐殺したり、
日本人女性が強姦されたりした事は、紛れもない史実です

台湾にいた日本人は、台湾人と涙ながらに別れて引き揚げて来ました。
しかし、朝鮮半島からは「命からがら」逃げて来たのです。

終戦1週間前の1945年8月8日、
ソ連が日ソ中立条約(日ソ不可侵条約) を一方的に破って対日宣戦を布告して満州と朝鮮に侵攻して来ました。

窓も門も開け放しのまま去った
日本人の空き住宅、商店、倉庫等にアリのように朝鮮人が群がった。

家財、衣類、食器、装飾物、楽器、娯楽品、靴、傘、書籍、自転車、
あらゆるものをかっさらい運び出すのに忙しかった。

町全体が怒鳴り合い、奪い合い、誰もが目を皿のようにして走っていた。
ある人はトランクを担いで逃げる。

皆走る、ぶつかる、ののしる、宝物を求めて、より大きい高級住宅に入る。

逃げ遅れた日本人に対しても朝鮮人はあらゆる悪事を働いた。

北と南に民族性の違いはないのである。同じ朝鮮人、当然でしょう。
・・・朱栄福著

北で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、
辛苦のすえやっと現在の38度線近く迄たどりついた。

そこで見たものは、日本人の娘が次々にまずソ連兵に犯され、
ついで、保安部隊に引き渡されて、更に散散にいじめられたうえ、
虐/殺される光景であった。

朝鮮保安部隊の略奪と暴行は、残虐を極めた。

夜中に雨戸を蹴破って侵入してきたソ連兵は、
17 になる娘を父親からひったくるように連行。

娘は明け方になり無残な姿で、涙も枯れはてて幽鬼のごとく帰ってきたという。

皆、ソ連兵を朝鮮人が案内したのだった。

部落ごとの保安隊の関所では、厳重な身体検査が行われ、
金や着物や米などが取り上げられた。

一糸まとわぬ姿にされ、取調べられた若い女性もあった。

城津での惨状は言語に絶した。朝鮮人の男女が数十名の団体で押しかけ、
干してある洗濯物から赤児の着物まで剥ぎ取って掠奪され、
あげくは婦人の「提供」を要求した。

・・・正論 2005 年 11 月号 引揚民間人を襲った略奪・暴行・殺戮の嵐 より

日本敗戦後一年が過ぎても朝鮮内の日本人の移動は禁じられていた。
筆者のグループは賄賂を使ってトラックを雇い南への脱出を決行する事になった。

昭和21年9月中旬、朝鮮警察のトラックを使用する。
料金は一人千円ということで、赤ん坊も含めて、私は六千円を支払った。

市辺里で全員トラックから下ろされ、後は徒歩になったのだが、
牛車が2台待っていて使用を強制され、荷物を載せて身軽で歩いた。

牛車代は多額が要求され、次の部落では次の牛車に載せ替えられて
また金を巻き上げられる。山の中腹に煙が見えた。

そこはチゲ部隊の
交替地であった。

もうこの頃には、醵出する金は無くなっていたが、物でもいいと言われ、せっかく、
わざわざここまで運んできた物を大部分取上げられてしまう。

稜線まできたチゲ部隊に、
「こんな少しばかりで、お前ら、日本へ帰れると思うのか。もっと出せ出せ!!」
と威かくされ、残りの物まで投げ出し、疲労困憊の老幼男女は、狂気のように
この現在の38度線付近の山稜を駆け下る。
・・・生きて祖国へ5 死の引揚体験集編集委員会編 

文坪の町も日に日に治安が悪くなっていた。
しばらく鳴りを潜めていた朝鮮過激分子の跳梁が始まってきた。

元山でも朝鮮人が暴徒と化して、日本人経営の店や住宅にまで押しかけて
暴行、略奪を始めたという噂が入ってきた。

ソ連兵は保安隊員の先導で日本人の住宅地区にやってきて、
家中を物色しありとあらゆる家財道具を略奪し始めた。

その内のめぼしい物がなくなってくると今度は、
「女!女!」と言って若い女性を連れ出すようになってきた。

私達若い女性は、頭髪をぷっつり切り落とし丸坊主になり、
貧しい男の子のように薄汚れた服を着るようにした。

ソ連兵や保安隊員が来ると、いち早く床下に隠れたり、
前もって準備して掘った穴に身を潜めた。

・・・私の突破記録 梶山緑

北鮮に入って来たソ連軍は、満州におけると同様、
略奪、放火、殺人、暴行、強/姦をほしいままにし、

在留日本人は一瞬にして奈落の底に投じられる事になった。

白昼、妻は夫の前で犯され、
泣き叫ぶセーラー服の女学生はソ連軍のトラックで集団的にら致された。
反抗したもの、暴行を阻止しようとした者は容赦なく射殺された。

ソ連兵に触発された朝鮮人の暴行も多かった。
富坪の避難民3000名中、その半数が死/亡した。

一日も早く引揚げさせてくれという要望はソ連軍当局によって無視され、
日本人はただただ餓死を待つよりほかない状況に追い込まれた。

やせこけた身体に乞食のようなボロ をまとい、
山を越え谷を歩き強盗にささやかな所持品を奪われ、歩哨の銃弾に倒れ、
人々は南に辿り着いた。

・・・「朝鮮人と日本人」 若槻泰雄 

悪夢のような数日の怒りがこみ上げてくるのであろう、
「畜生、ロスケのやつ」「山賊朝鮮人め!」髪を振るわして、
朝鮮人の顔役がズラリ顔をそろえてやって来て、打つ、蹴る、殴るの「見せしめ」が始まる。

この日も悪い奴がやって来た! と思ったが、炊事当番の人々が知らぬ顔をしていると、
「(戦争に)負けたくせに生意気だ」と食って掛かって来た。

あまりの雑言にきっと目をすえると、「これでも食え!」と言いざま、
足もとの土砂をすくって、パッと味噌汁の鍋に叩き込んで逃げていった。

久しぶりのご馳走というので、窓、窓には笑顔が並んでいたが、
この光景に、窓の表情はたちまち青ざめた憤りに変わった。
今日もまた「命令」と称して朝鮮人のトラックが乗りつけて来た。

カーキー色のものは服といわず靴といわず、一物も余さずかっさらって行く。
これらは軍需品だから没収するというのである。

これから寒さに向かうというのにシャツ1枚でも無駄にはできない、
その貴重品をトラックに山積みにして今日も引揚げていく。

避難の人々は、最後の1枚を没収されないためにチエを絞り出した。
明日もまた現れるであろう没収団の為、有り合わせの染料で他の色に染め変えてしまった。

その翌日、朝鮮側の命令は例のとおりやってきた。

一同は一夜で変わった黒や青色の服で列を作ったが、
予想に反して今度は服装には目もくれず、意外な命令が言い渡された。

「今度は一切の所持金を提出しなければならない。
もし、この命に違反し、一銭といえども所持していることが後で分った場合は銃殺される。

では、本日ただちに提出するように」有無を言わせない強制処置である。
今後何か月かかるか分らない長い苦難を前に、金こそは命の綱である。

その命の綱を一銭残らず供出したら
――今までに子供がお腹をすかせれば芋の一つも買ってやれたのに、
無一文は死の宣告も同然である。

しかし、銃殺で脅かされた一同は、泣く泣く最後の一銭までも提出してしまった。
その夜、カユをすすった避難民一同は絶望の中に寝られぬ夜明けを迎えた。

その朝も、恐怖の的である命令が来た。

1日1日この命令で心臓を締め付けられてきた一同は、
伝令の姿が現れると、もうそれだけで体が震え出した。

「命令」冷厳な、その命令は疎開本部代表に針のような鋭さで伝達された。

「17歳以上、50歳までの男子は、ひとり残らず軽装で集合せよ」
十分の猶予が与えられて男子は校庭に集合した。

この部隊はそのまま朝鮮保安署に連行された。

残された婦人たちは「いつもの使役だとよいが…」と冷たい雨の中を去っていく
男子部隊をいつまでもいつまでも見送っていた。

この雨中の別れが、長い長い別れとなった。
この男子部隊はその夜、移駐を命じられ、遠くシベリア送りとなったのである。

・・・「大東亜戦史 8 朝鮮編」池田佑編 富士書苑

戦後の日本人引き揚げ時の真実は、語り継いでいかなければならないと思います。

繰り返しますが、日本国民として一緒に戦争していた朝鮮人は、
日本が敗戦すると知ると手のひらを返して日本人に対して、
略奪・強姦・虐殺などあらゆる暴虐の限りを犯したのです。

陸海空と英霊たちが命をかけて守ろうとした家族・祖国日本ですが、
敗戦と同時に生き残った人たちも死ぬのと勝るとも劣らない苦しみ~
一瞬にして死ぬのでなく長く続く精神的・肉体的苦痛は、
まさに「生き地獄」に落とされたのです。

二度とこの様な事にならない為には、戦争をしない事は勿論ですが、

戦争を起こさせないことです。戦争は、水が低きに流れるのと同じ様に、(軍事)力が弱い所に(軍事)力が作用して起こります。
明確に言えば、支那が尖閣諸島に触手を伸ばせば、
日本・支那間で戦争が起こりうるのです。
そうしない為には、相手が手を出せない様に、手を出せば大火傷をする・唯では済まないような準備をするしかありません。

ヤクザは警察力相手に喧嘩はしません。

強い相手に喧嘩は仕掛けないのと同じです。
支那も米国には手を出しません。
日本がこのまま何もせずにいれば支那は確実に尖閣諸島に手を出します。

そうしない為には、日本は「支那に手を出せない様に」軍備力を充実させることを早急に・確実に実施すべきです。

麻酔なしの中絶手術
【二日市保養所】

*特別養護老人ホームわきの水子地蔵の前で、毎年5月に「水子供養祭」が行われています(福岡県筑紫野市で)

◆恨みと怒りの声、手術室に響く
*命からがら逃げ延びた女性の史実です


引き揚げ先の博多港から「二日市保養所」(福岡県筑紫野市)に到着した女性たちは、
数日間の休養の後、手術室に通された。

麻酔はない。手術台に横たわると、目隠しをしただけで手術が始まった。
医師が、長いはさみのような器具を体内に挿入して胎児をつかみ出す。

「生身をこそげ取るわけだから、それはそれは、痛かったでしょう」。
看護師として手術に立ち会った村石正子さん(80)(*取材当時)は、硬い表情で思い返す。

ほとんどの女性は、歯を食いしばり、村石さんの手をつぶれそうなほど強く握りしめて
激痛に耐えたが、1人だけ叫び声を上げた。「ちくしょう」??。

手術室に響いたのは、痛みを訴えるものではなく、恨みと怒りがない交ぜになった声だった。

おなかが大きくなっている女性には、陣痛促進剤を飲ませて早産させた。

「泣き声を聞かせると母性本能が出てしまう」と、
母体から出てきたところで頭をはさみのような器具でつぶし、声を上げさせなかった。

幾多の手術に立ち会った村石さんには、忘れられない“事件”がある。
陣痛促進剤を飲んで分べん室にいた女性が、急に産気づいた。

食事に行く途中だった村石さんが駆けつけ、
声を上げさせないために首を手で絞めながら女児を膿盆(のうぼん)に受けた。

白い肌に赤い髪、長い指??。ソ連(当時)の兵隊の子供だと一目でわかった。
医師が頭頂部にメスを突き立て、膿盆ごと分べん室の隅に置いた。

食事を終えて廊下を歩いていると、「ファー、ファー」という声が聞こえた。
「ネコが鳴いているのかな」と思ったが、はっと思い当たった。

分べん室のドアを開けると、メスが突き刺さったままの女児が、
膿盆のなかで弱々しい泣き声をあげていた。

村石さんに呼ばれた医師は息をのみ、
もう一本頭頂部にメスを突き立てた。女児の息が止まった。

死亡した胎児の処理は、看護師のなかで最も若かった
吉田はる代さん(78)*取材当時(埼玉県川口市)らの仕事だった。
手術が終わると、庭の深い穴に落とし、薄く土をかぶせた。

手術を終えた女性は2階の大部屋で布団を並べ、体を休めた。

会話もなく、横になっているだけ。
大半は目をつぶったままで、吉田さんは「自分の姿を見られたくなかったから、
ほかの人も見ないようにしていたのでしょう」と振り返る。

女性たちは1週間ほどで退院していった。
村石さんは「これから幸せになって」と願いを込めながら、薄く口紅を引いて送り出した。
中絶手術や陣痛促進剤による早産をした女性は、500人以上にのぼると見られる。
*二日市保養所だけで


1947年7月に設立された済生会二日市病院は、
二日市保養所の建物の一部を共同で使用していた。

設立当初の同病院に勤務していた島松圭輔さん(89)(筑紫野市)は、
保養所の医師らと一緒に食事をしたこともあったが、仕事の話は一切出なかった。

島松さんは、二日市保養所が閉鎖されたのは「47年秋ごろ」と記憶している。

一緒に食事をしたことがあった医師らのあいさつもなく、
「誰もいなくなったな」と感じた時には、約1年半にわたった業務を既に終えていた。

二日市保養所の跡地に立つ特別養護老人ホームでは毎年5月、
水子地蔵の前で水子供養祭が行われている。

今年(*2005年)の供養祭では村石さんも静かに手を合わせたが、
当時を思い出しながら、むせび泣いた。

「私はこの手で子供の首を絞めたんです。
60年前、ここの手術室にいた私の姿は忘れられません……」

二日市保養所、


日本人は絶対に忘れてはいけません。

そして
朝鮮人、ロシア人から受けた暴行、虐殺、強姦を絶対に忘れてはいけません。

素晴らしいコメントを頂きましたので貼り付けました。大事なことです。

今後、もしも朝鮮半島有事が起こった場合、同じことが繰り返される恐れがあります。韓国が好きな人は要注意❗️


 さん

無題

知られたくないからこの本は韓国では発禁処分なんです。

現在、韓国に6万人滞在しているといわれている在韓邦人ですが、朝鮮半島有事があった時に無事に日本に帰れると本気で思っているのでしょうか。

韓国人がやさしく手を差し伸べてくれると思っているのでしょうか。

それは大間違いです。日本人を助ける韓国人などよほどの知り合いでもない限りありえません。

平時でも日本人とわかると日本人が被害にあっても韓国の警察は助けてくれません。

ましてや有事となった時は、自分優先です。

自衛隊は救出活動が出来ません。

なぜなら、韓国政府が自衛隊の入国を拒否しているからです。

「竹林はるか遠く―日本人少女ヨーコの戦争体験記」の世界が再現されることが想像できます。

ヨーコ物語 (竹の森遠く) 概要
https://www.youtube.com/watch?time_continue=53&v=moafwYpGYmw
ヨーコ物語 (竹の森遠く) 要約
https://www.youtube.com/watch?v=PZxyvCJcRlw&feature=youtu.be


畜生 関連ツイート

相変わらず夜戦畜生すぎて笑う。欠陥編成ではある
畜生、頭きた。喧嘩するなら同じサイズとやれよな!

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