絶対零度や泥棒が存在する世界に、僕の愛する家族は住んでいる。
絶対零度にもこだわりたい!
モンテクリスト伯の中で、原作との違いが印象的なところをいくつかまとめました。
①エドモンダンテスは拷問されない/柴門暖は拷問される
エドモンダンテスは14年間牢獄に閉じ込められますが、拷問をされたことはありません。
気が狂っているとして暗闇の牢の中に入れられ、数回、もしかしたら釈放してもらえるかもという希望が生まれますが、叶わず。
肉体的な辛さじゃなくて、精神的な辛さに焦点が当てられている感じがします。
ドラマで拷問を入れたのは、やっぱりエドモンの苦しみを手っ取り早く理解してもらうためかな。ドラマでは、捕まってから割とすぐに脱獄してしまうので。(放映時間的なことを言っています)
孤独や暗闇や、生まれた希望が潰える絶望、そういうものに苦しみ続けるという精神的な辛さは、ドラマの短さでは伝わりにくいかもしれないです。
原作では牢獄での苦しみや絶望に、ほぼ1冊全部使っているので・・・。
② モンテクリスト伯は変装する/モンテクリスト真海は変装しない
原作において、エドモンダンテスは、苦しい牢獄生活の中で、誰にも分かってもらえないほど面変わりしてしまったという設定です。(柴門暖はそのまんますぎて話題になりましたね)
その上エドモンは、イタリーのブゾーニ司祭という人と、イギリスのウィルモア卿に扮して、色々仕込みをします。
③モンテクリスト伯はめちゃめちゃ仕込む
モンテクリスト真海も、ドラマで色々仕込んでましたが、原作はそれ以上。
フランスの社交界にすんなり受け入れてもらうために、まずはフェルナン(ドラマでいうところの南条幸男)の息子と親しくなろうとするのですが、そのために謝肉祭やら死刑執行やらを見るための広場に面した窓(座席)を買い占めたり、馬車をすべて借りてしまうなどしておきます。
外国へ物見に来ていて、見物する窓や、馬車がなくて困っていたアルベール(フェルナンの息子。年齢は二十ぐらい)に、親切に窓を貸してやったり、馬車を貸したり、仮装用の衣装を用意したり、食事を出したりします。
そのうえ、自分が懇意にしている盗賊ヴァンパにハニートラップ的なのを仕掛けさせて、アルベールを誘拐させて、それから助けて、信用を得るのです。
このへんの回りくどい仕込みが、小さい頃は面倒くさくて、「さっさと殺さんかい!(物騒)」だったんですけど、
今読むとこのだらだらしたのが意外と面白いのですよ!
毒薬も、ドラマでは既に瑛理奈さんが持ってたけど、原作ではモンテ・クリスト伯が、直接作り方を教えるんです。
しかも教える前提として、数年前にどこかの避暑地で出会っておいて、その時には自分がお医者様であるかのような風情でお話して、彼女が毒に興味を持っていることを下調べ済み。
で、「あのとき避暑地で会いましたよね」とかって話を振って、うまーく毒薬の作り方を聞いてくるように仕向ける。
この毒薬は、1滴だったら気付け薬として役立つのですが、5滴も入れると大変なことになるのです。
変装した「ブゾーニ司祭」も、「ウィルモア卿」も、それぞれフランスにこじんまりとした住居を構えてます。
モンテクリスト伯は、「ブゾーニ」として、また「ウィルモア」として、それぞれさまざまな仕込みを数年にわたってこなしており、
それを踏まえての復讐劇なのです!
④家族構成が違う
復讐される側の子どもが、わりと大きい。
フェルナンとこ→20ぐらいの青年(ダングラール娘と婚約中)
南条さんとこ→小学生の女の子
ダングラールとこ→17歳ぐらいの娘(フェルナン息子と婚約中だが、全然結婚したくない独立独歩系)
神楽のとこ→こどもなし
ヴィルフォールのとこ→①前妻との間に17歳ぐらいの娘(フランツと婚約中だが、実はマクシミリヤンと恋愛中)②後妻との間に5歳ぐらいの息子(わがまま放題)
入間のとこ→①前妻との間に大学生の娘(ダボハゼ好き)②後妻との間に小学生の息子(いつもゲームしてる)
ヴィルフォールとダングラール夫人の不倫→二十過ぎたぐらいの息子(悪事に染まってるダメダメ人間)
入間と神楽夫人の不倫→二十過ぎたぐらいの息子(借金まみれ)
ちなみに、不倫の子は、原作では、金庫に詰めて捨てられてました。
モンテクリスト伯の執事となったベルツッチオ(コルシカ人。ドラマで言うところの土屋)は、とあるできごとでヴィルフォールを恨み、金庫(子ども)をうめているところを後ろから刺すんですが、そのときに、金庫だから金目のものだと思って持っていくんですよ。そしたら子供が入っていわ訳なんですけど・・・。(ちなみにヴィルフォールは助かります)
そしてこの金庫に入っていた息子は、原作では、べつに母と寝たりはせず、モンテ・クリスト伯の策略により、偽の貴族となって、ダングラールの娘の婚約者になります。ダングラールを破産させるための策略の一つですね。
原作とドラマとの最も大きな違いはこの、「子どもたちのあり方」なのではないかな。
南条幸男の子どもが原作通り20ぐらいの青年だったら、たぶん南条幸男はそのまま死んでいたと思うし。子どもが小学生の女の子明日花だったからこそ、愛梨が幸男を助ける展開になったと思う。
明日花がいたからこそ、すみれにとって、真海のプロポーズはより厳しい選択になったと思うし。
「母とはこんなにも強いものなのだな」という真海の台詞もありましたけど、
留美さんの行動は、少なからず真海に影響を与えたと思うし。
原作モンテ・クリスト伯は、非常にシンプルです。シンプルな復讐劇。
因果応報というか、犯した罪の分、罰せられるべき。
ダングラールが助かったのも、別に彼を許したからじゃない。
ヴィルフォールの後妻(毒の人)の5歳の息子を、殺すはずじゃなかったのに結果的に死に至らしめてしまった時、モンテ・クリスト伯は、自分が仕組んだ以上のところに来てしまった、残されたひとりは救わねばならないと考えます。
余計に殺した分の命を、どこかで救わねばならないと。
それゆえ、ダングラールは死なずにすむ。
思えばベネディット(不倫の子)が助けられた時にもそのような考え方が出てきました。
神、というものの存在も、この物語ではとても重要な意味を持ちます。
ドラマの復讐はそこまでシンプルでない。
真海は復讐をする中で、自分の思惑を大きく越えていくものや、どうしたって取り
せないものにも気がついていく。
真海は、たとえば留美さんのように、「無性に子どもを愛する」ということに心を動かされ、敬意を払う。
すみれさんが「真海さんと結婚します」と答えた時の真海の表情の変化は忘れられない。
喜び、そして、寂しさとか切なさのようなもの・・・
「真海さんと結婚します」とすみれに言わせた時、復讐は終わったのかな。
「真海さんと結婚します」という言葉は、幸男に、ただ死ぬよりも深い絶望を与えたのかな。
でも、「真海さんと」って言われた時、暖の心も、きっと絶望したよね・・・
なんて、いろいろ考えさせられるドラマの終わりでした。
すごく楽しみました。
ドラマ完走したの久しぶりですもん!
これだけの記事を書き上げるのにずいぶん時間がかかってしまいましたが
(途中で何度もエラーが起きて、嫌になって放置したりしてたから)
ギャラクシー賞も受賞したということで、結果的によいタイミングだったのではないでしょうか。(←言い訳)
ヨコさんの「絶対零度」も、これからますますおもしろくなることを期待していますー!
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