今時畜生を信じている奴はアホ

今時畜生を信じている奴はアホ

こんな畜生は嫌だ

終戦後、日本へ引き揚げる民間人の史実です。

*再編集しました

日本と戦っていた中国人でさえ、親と離れ離れになった日本人孤児を我が子と同様に育ててくれていました。

中国残留孤児等で、日本に永住帰国した人数は、平成17年度までで20,102名(家族を含む)になっています。

温かい中国人に育てられたそうです。厚生省HPです。

それに対して恩を仇で返す朝鮮人ときたら・・・日本と朝鮮は戦争したことはありません。寧ろ中国とソ連(旧ロシア)からの侵略を防いで守っていた立場でした。

中国残留孤児がいても朝鮮残留孤児が一人もいない理由は皆殺しされたから。
大人の男(高齢者)は虐殺、少年や青年はシベリア送りで強制労働。女性(少女含む)は性的暴行の対象、逆らえば殺害。男児、幼児たちは用無しなので皆殺し。

命からがら逃げ帰った人は139万人

不思議を感じさせないほど、日本人が殺戮されたため、誰もその真実を伝える人が残っていないというのが本当のところなんですね。

一体何万人、何十万人が殺されたことか。

日本は、それらの虐殺された人々に対する補償を訴えるべきです。

虐殺があったということを、記念館を作って歴史に残すべきです。
真実を、外国の圧力で歪めてはいけないと痛切に思っています。

二日市保養所、戦後の日本人引き揚げ時の朝鮮半島での悲惨な史実、アメリカの社会科教科書として採用された『竹林はるか遠く』から抜粋しました。

二日市保養所 終戦後、在満・在朝の女性は過酷な運命を辿った。度重なる強姦を受け妊娠する者、自殺する者が相次いだ。引揚者の治療をした医師は女性の性的被害の多さに愕然とするしかなかった。そのような女性の治療のため二日市保養所が設けられた。日本人女性を強姦した男の過半は朝鮮人であった。

戦後の日本人引き揚げ時の真実は、

語り継いでいかなければならないと思います。
繰り返しますが、

日本国民として一緒に戦争していた朝鮮人は、

日本が敗戦すると知ると手のひらを返して日本人に対して、

略奪・強姦・虐殺などあらゆる暴虐の限りをしたのです。

ソ連の裏切り・火事場泥棒強盗殺人犯罪に絡んで
日本人引き揚げ時の朝鮮半島での悲惨な史実~朝鮮人の犯罪です。

そもそも朝鮮は、朝鮮側からの要望もあり日本統治され、当時のお金で2兆円の予算を投入しインフラ・病院・学校を整え
発展し、朝鮮人の寿命が伸びた事実があります。

戦時中は、共に戦いましたが、
日本が負けた事を知るとソ連の戦争参入に便乗して日本人を虐殺したり、
日本人女性が強姦されたりした事は、紛れもない史実です

台湾にいた日本人は、台湾人と涙ながらに別れて引き揚げて来ました。
しかし、朝鮮半島からは「命からがら」逃げて来たのです。

終戦1週間前の1945年8月8日、
ソ連が日ソ中立条約(日ソ不可侵条約) を一方的に破って対日宣戦を布告して満州と朝鮮に侵攻して来ました。

窓も門も開け放しのまま去った
日本人の空き住宅、商店、倉庫等にアリのように朝鮮人が群がった。

家財、衣類、食器、装飾物、楽器、娯楽品、靴、傘、書籍、自転車、
あらゆるものをかっさらい運び出すのに忙しかった。

町全体が怒鳴り合い、奪い合い、誰もが目を皿のようにして走っていた。
ある人はトランクを担いで逃げる。

皆走る、ぶつかる、ののしる、宝物を求めて、より大きい高級住宅に入る。

逃げ遅れた日本人に対しても朝鮮人はあらゆる悪事を働いた。

北と南に民族性の違いはないのである。同じ朝鮮人、当然でしょう。
・・・朱栄福著

北で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、
辛苦のすえやっと現在の38度線近く迄たどりついた。

そこで見たものは、日本人の娘が次々にまずソ連兵に犯され、
ついで、保安部隊に引き渡されて、更に散散にいじめられたうえ、
虐/殺される光景であった。

朝鮮保安部隊の略奪と暴行は、残虐を極めた。

夜中に雨戸を蹴破って侵入してきたソ連兵は、
17 になる娘を父親からひったくるように連行。

娘は明け方になり無残な姿で、涙も枯れはてて幽鬼のごとく帰ってきたという。

皆、ソ連兵を朝鮮人が案内したのだった。

部落ごとの保安隊の関所では、厳重な身体検査が行われ、
金や着物や米などが取り上げられた。

一糸まとわぬ姿にされ、取調べられた若い女性もあった。

城津での惨状は言語に絶した。朝鮮人の男女が数十名の団体で押しかけ、
干してある洗濯物から赤児の着物まで剥ぎ取って掠奪され、
あげくは婦人の「提供」を要求した。

・・・正論 2005 年 11 月号 引揚民間人を襲った略奪・暴行・殺戮の嵐 より

日本敗戦後一年が過ぎても朝鮮内の日本人の移動は禁じられていた。
筆者のグループは賄賂を使ってトラックを雇い南への脱出を決行する事になった。

昭和21年9月中旬、朝鮮警察のトラックを使用する。
料金は一人千円ということで、赤ん坊も含めて、私は六千円を支払った。

市辺里で全員トラックから下ろされ、後は徒歩になったのだが、
牛車が2台待っていて使用を強制され、荷物を載せて身軽で歩いた。

牛車代は多額が要求され、次の部落では次の牛車に載せ替えられて
また金を巻き上げられる。山の中腹に煙が見えた。

そこはチゲ部隊の
交替地であった。

もうこの頃には、醵出する金は無くなっていたが、物でもいいと言われ、せっかく、
わざわざここまで運んできた物を大部分取上げられてしまう。

稜線まできたチゲ部隊に、
「こんな少しばかりで、お前ら、日本へ帰れると思うのか。もっと出せ出せ!!」
と威かくされ、残りの物まで投げ出し、疲労困憊の老幼男女は、狂気のように
この現在の38度線付近の山稜を駆け下る。
・・・生きて祖国へ5 死の引揚体験集編集委員会編 

文坪の町も日に日に治安が悪くなっていた。
しばらく鳴りを潜めていた朝鮮過激分子の跳梁が始まってきた。

元山でも朝鮮人が暴徒と化して、日本人経営の店や住宅にまで押しかけて
暴行、略奪を始めたという噂が入ってきた。

ソ連兵は保安隊員の先導で日本人の住宅地区にやってきて、
家中を物色しありとあらゆる家財道具を略奪し始めた。

その内のめぼしい物がなくなってくると今度は、
「女!女!」と言って若い女性を連れ出すようになってきた。

私達若い女性は、頭髪をぷっつり切り落とし丸坊主になり、
貧しい男の子のように薄汚れた服を着るようにした。

ソ連兵や保安隊員が来ると、いち早く床下に隠れたり、
前もって準備して掘った穴に身を潜めた。

・・・私の突破記録 梶山緑

北鮮に入って来たソ連軍は、満州におけると同様、
略奪、放火、殺人、暴行、強/姦をほしいままにし、

在留日本人は一瞬にして奈落の底に投じられる事になった。

白昼、妻は夫の前で犯され、
泣き叫ぶセーラー服の女学生はソ連軍のトラックで集団的にら致された。
反抗したもの、暴行を阻止しようとした者は容赦なく射殺された。

ソ連兵に触発された朝鮮人の暴行も多かった。
富坪の避難民3000名中、その半数が死/亡した。

一日も早く引揚げさせてくれという要望はソ連軍当局によって無視され、
日本人はただただ餓死を待つよりほかない状況に追い込まれた。

やせこけた身体に乞食のようなボロ をまとい、
山を越え谷を歩き強盗にささやかな所持品を奪われ、歩哨の銃弾に倒れ、
人々は南に辿り着いた。

・・・「朝鮮人と日本人」 若槻泰雄 

悪夢のような数日の怒りがこみ上げてくるのであろう、
「畜生、ロスケのやつ」「山賊朝鮮人め!」髪を振るわして、
朝鮮人の顔役がズラリ顔をそろえてやって来て、打つ、蹴る、殴るの「見せしめ」が始まる。

この日も悪い奴がやって来た! と思ったが、炊事当番の人々が知らぬ顔をしていると、
「(戦争に)負けたくせに生意気だ」と食って掛かって来た。

あまりの雑言にきっと目をすえると、「これでも食え!」と言いざま、
足もとの土砂をすくって、パッと味噌汁の鍋に叩き込んで逃げていった。

久しぶりのご馳走というので、窓、窓には笑顔が並んでいたが、
この光景に、窓の表情はたちまち青ざめた憤りに変わった。
今日もまた「命令」と称して朝鮮人のトラックが乗りつけて来た。

カーキー色のものは服といわず靴といわず、一物も余さずかっさらって行く。
これらは軍需品だから没収するというのである。

これから寒さに向かうというのにシャツ1枚でも無駄にはできない、
その貴重品をトラックに山積みにして今日も引揚げていく。

避難の人々は、最後の1枚を没収されないためにチエを絞り出した。
明日もまた現れるであろう没収団の為、有り合わせの染料で他の色に染め変えてしまった。

その翌日、朝鮮側の命令は例のとおりやってきた。

一同は一夜で変わった黒や青色の服で列を作ったが、
予想に反して今度は服装には目もくれず、意外な命令が言い渡された。

「今度は一切の所持金を提出しなければならない。
もし、この命に違反し、一銭といえども所持していることが後で分った場合は銃殺される。

では、本日ただちに提出するように」有無を言わせない強制処置である。
今後何か月かかるか分らない長い苦難を前に、金こそは命の綱である。

その命の綱を一銭残らず供出したら
――今までに子供がお腹をすかせれば芋の一つも買ってやれたのに、
無一文は死の宣告も同然である。

しかし、銃殺で脅かされた一同は、泣く泣く最後の一銭までも提出してしまった。
その夜、カユをすすった避難民一同は絶望の中に寝られぬ夜明けを迎えた。

その朝も、恐怖の的である命令が来た。

1日1日この命令で心臓を締め付けられてきた一同は、
伝令の姿が現れると、もうそれだけで体が震え出した。

「命令」冷厳な、その命令は疎開本部代表に針のような鋭さで伝達された。

「17歳以上、50歳までの男子は、ひとり残らず軽装で集合せよ」
十分の猶予が与えられて男子は校庭に集合した。

この部隊はそのまま朝鮮保安署に連行された。

残された婦人たちは「いつもの使役だとよいが…」と冷たい雨の中を去っていく
男子部隊をいつまでもいつまでも見送っていた。

この雨中の別れが、長い長い別れとなった。
この男子部隊はその夜、移駐を命じられ、遠くシベリア送りとなったのである。

・・・「大東亜戦史 8 朝鮮編」池田佑編 富士書苑

戦後の日本人引き揚げ時の真実は、語り継いでいかなければならないと思います。

繰り返しますが、日本国民として一緒に戦争していた朝鮮人は、
日本が敗戦すると知ると手のひらを返して日本人に対して、
略奪・強姦・虐殺などあらゆる暴虐の限りを犯したのです。

陸海空と英霊たちが命をかけて守ろうとした家族・祖国日本ですが、
敗戦と同時に生き残った人たちも死ぬのと勝るとも劣らない苦しみ~
一瞬にして死ぬのでなく長く続く精神的・肉体的苦痛は、
まさに「生き地獄」に落とされたのです。

二度とこの様な事にならない為には、戦争をしない事は勿論ですが、

戦争を起こさせないことです。戦争は、水が低きに流れるのと同じ様に、(軍事)力が弱い所に(軍事)力が作用して起こります。
明確に言えば、支那が尖閣諸島に触手を伸ばせば、
日本・支那間で戦争が起こりうるのです。
そうしない為には、相手が手を出せない様に、手を出せば大火傷をする・唯では済まないような準備をするしかありません。

ヤクザは警察力相手に喧嘩はしません。

強い相手に喧嘩は仕掛けないのと同じです。
支那も米国には手を出しません。
日本がこのまま何もせずにいれば支那は確実に尖閣諸島に手を出します。

そうしない為には、日本は「支那に手を出せない様に」軍備力を充実させることを早急に・確実に実施すべきです。

麻酔なしの中絶手術
【二日市保養所】

*特別養護老人ホームわきの水子地蔵の前で、毎年5月に「水子供養祭」が行われています(福岡県筑紫野市で)

◆恨みと怒りの声、手術室に響く
*命からがら逃げ延びた女性の史実です


引き揚げ先の博多港から「二日市保養所」(福岡県筑紫野市)に到着した女性たちは、
数日間の休養の後、手術室に通された。

麻酔はない。手術台に横たわると、目隠しをしただけで手術が始まった。
医師が、長いはさみのような器具を体内に挿入して胎児をつかみ出す。

「生身をこそげ取るわけだから、それはそれは、痛かったでしょう」。
看護師として手術に立ち会った村石正子さん(80)(*取材当時)は、硬い表情で思い返す。

ほとんどの女性は、歯を食いしばり、村石さんの手をつぶれそうなほど強く握りしめて
激痛に耐えたが、1人だけ叫び声を上げた。「ちくしょう」??。

手術室に響いたのは、痛みを訴えるものではなく、恨みと怒りがない交ぜになった声だった。

おなかが大きくなっている女性には、陣痛促進剤を飲ませて早産させた。

「泣き声を聞かせると母性本能が出てしまう」と、
母体から出てきたところで頭をはさみのような器具でつぶし、声を上げさせなかった。

幾多の手術に立ち会った村石さんには、忘れられない“事件”がある。
陣痛促進剤を飲んで分べん室にいた女性が、急に産気づいた。

食事に行く途中だった村石さんが駆けつけ、
声を上げさせないために首を手で絞めながら女児を膿盆(のうぼん)に受けた。

白い肌に赤い髪、長い指??。ソ連(当時)の兵隊の子供だと一目でわかった。
医師が頭頂部にメスを突き立て、膿盆ごと分べん室の隅に置いた。

食事を終えて廊下を歩いていると、「ファー、ファー」という声が聞こえた。
「ネコが鳴いているのかな」と思ったが、はっと思い当たった。

分べん室のドアを開けると、メスが突き刺さったままの女児が、
膿盆のなかで弱々しい泣き声をあげていた。

村石さんに呼ばれた医師は息をのみ、
もう一本頭頂部にメスを突き立てた。女児の息が止まった。

死亡した胎児の処理は、看護師のなかで最も若かった
吉田はる代さん(78)*取材当時(埼玉県川口市)らの仕事だった。
手術が終わると、庭の深い穴に落とし、薄く土をかぶせた。

手術を終えた女性は2階の大部屋で布団を並べ、体を休めた。

会話もなく、横になっているだけ。
大半は目をつぶったままで、吉田さんは「自分の姿を見られたくなかったから、
ほかの人も見ないようにしていたのでしょう」と振り返る。

女性たちは1週間ほどで退院していった。
村石さんは「これから幸せになって」と願いを込めながら、薄く口紅を引いて送り出した。
中絶手術や陣痛促進剤による早産をした女性は、500人以上にのぼると見られる。
*二日市保養所だけで


1947年7月に設立された済生会二日市病院は、
二日市保養所の建物の一部を共同で使用していた。

設立当初の同病院に勤務していた島松圭輔さん(89)(筑紫野市)は、
保養所の医師らと一緒に食事をしたこともあったが、仕事の話は一切出なかった。

島松さんは、二日市保養所が閉鎖されたのは「47年秋ごろ」と記憶している。

一緒に食事をしたことがあった医師らのあいさつもなく、
「誰もいなくなったな」と感じた時には、約1年半にわたった業務を既に終えていた。

二日市保養所の跡地に立つ特別養護老人ホームでは毎年5月、
水子地蔵の前で水子供養祭が行われている。

今年(*2005年)の供養祭では村石さんも静かに手を合わせたが、
当時を思い出しながら、むせび泣いた。

「私はこの手で子供の首を絞めたんです。
60年前、ここの手術室にいた私の姿は忘れられません……」

二日市保養所、


日本人は絶対に忘れてはいけません。

そして
朝鮮人、ロシア人から受けた暴行、虐殺、強姦を絶対に忘れてはいけません。

素晴らしいコメントを頂きましたので貼り付けました。大事なことです。

今後、もしも朝鮮半島有事が起こった場合、同じことが繰り返される恐れがあります。韓国が好きな人は要注意❗️


 さん

無題

知られたくないからこの本は韓国では発禁処分なんです。

現在、韓国に6万人滞在しているといわれている在韓邦人ですが、朝鮮半島有事があった時に無事に日本に帰れると本気で思っているのでしょうか。

韓国人がやさしく手を差し伸べてくれると思っているのでしょうか。

それは大間違いです。日本人を助ける韓国人などよほどの知り合いでもない限りありえません。

平時でも日本人とわかると日本人が被害にあっても韓国の警察は助けてくれません。

ましてや有事となった時は、自分優先です。

自衛隊は救出活動が出来ません。

なぜなら、韓国政府が自衛隊の入国を拒否しているからです。

「竹林はるか遠く―日本人少女ヨーコの戦争体験記」の世界が再現されることが想像できます。

ヨーコ物語 (竹の森遠く) 概要
https://www.youtube.com/watch?time_continue=53&v=moafwYpGYmw
ヨーコ物語 (竹の森遠く) 要約
https://www.youtube.com/watch?v=PZxyvCJcRlw&feature=youtu.be

畜生や泥棒が存在する世界に、僕の愛する家族は住んでいる。

祓いの意味

今回は、神道における「罪穢れ」と「祓い」の意味について述べます。

みなさんは、神社でお祓いやご祈祷をしてもらったことがありますか?

神前結婚式、子どもの初宮参り、七五三、厄払いなど、私たちの人生の節目で神社に参拝したとき、拝殿で神主が何やら聞き慣れない言葉(祝詞)を唱えているのを耳にした人もいるでしょう。

あれは一体何を言っているのか、その意味まで考えたことのある人は、意外に少ないかもしれません。

一度、神社に行ったときにお祓いの儀礼に注意を払ってみてはどうでしょう?

私どもの運営している会員制サイトでは、色んな種類の「祓え言葉」を、各自の適性や必要に応じて伝授しています。

神道系の人に対しては「大祓詞」の奏上を習慣づけるようにお勧めしています。

自分に合わない方法を練習しても効果はないからです。

祝詞を奏上することで、実際私たちの心の中の穢れを祓い、清めることができますし、漢文よりも大和言葉の方が日本人の「こころ」に響きやすいこともあります。

は、別名を中臣祓詞(なかとみのはらえことば)とも言います。

この祝詞は「日本書紀」や「古語拾遺」にも見られ、奈良時代以前から存在しているもっとも古い部類に属す祝詞です。他にももっと古いものは有りますが、ここでは取り上げません。

神社で唱えられる祝詞の代表格で、夏越の祓い(新暦6月30日)、年越の大祓い(新暦12月31日)に際しては必ず奏上される祝詞です。

この900字の詞の中に、日本の古代信仰の本質が見事に集約されています。

最初から「穢れ」があるのではありません。

そこには私たちの意図的、無意図的な行いが罪となり、罪が「穢れ」を引き起こすのです。

「罪」を犯した結果、「穢れ」が発生し、その穢れを清めるために「祓ひ」が行われる。

その繰り返しの中で人は神と向き合い、自分の犯した罪が贖われると考えるのが神道の基本的なスタンスです。

穢れだけが蔓延する状態を良しとはせずに、それを必ず祓って元の清浄なる状態に戻していくのです。

もともと、<祓ひ>とは穢れを祓って清浄になることであり、その究極の清浄とは、神から授けられた「本来の自分」、つまり神の心に還ることです。

特に、人間が直面する死の問題を契機として、本来の自分とは何か、人生どうあるべきかを神の救いの力を通じて自覚していくことが<祓ひ>の意味なのです。

もう1つは、この世に生を受けた人々の不幸や罪からの救済において、まず自己反省を促し、神の慈愛と包容力に身を委ねながら、身にこびりついている穢れを贖い、魂の洗濯をして新しく生まれ変わった自分になることを<祓ひ>とも言います。

お祓いを受けるというのは、このように神の前で、自分の背負っている罪と穢れを祓い落とし、心の新陳代謝を促して純粋な自分にしてもらうこと、という意味があるのです。

前の記事では、平安時代に形成された「穢れ」の概念について述べました。

当時は、今よりも衛生状態も悪く、疫病が流行したり、子どもの死亡率も高く、平均寿命も短かった時代です。

戦乱も度々起こり、都と言えども人の死骸があちらこちらに転がっていたような状況もありました。

現代よりもはるかに人の死を目の当たりにする確率は高く、「死が身近にあった時代」だったのです。

そのような状況だったなら、人は死を恐れ、死体を見たり、接触することに強い抵抗を覚えるようになり、「死が穢れ」であると考えるようになってもおかしくはないでしょう。

お産にしても、死産、流産も多く、生まれてすぐに亡くなること子どもも多かったわけで、「産むこと」が「死」に直結していた時代でもあります。

だから、お産に際しておこるアクシデントに遭遇したときに、これを「穢れ」だと見なすようになったことも当然の帰結でしょう。

平安時代に形成された「穢れ」概念は、中世には民衆にも拡がり、職業の貴賤、社会外の民、不可触民など、その後の身分差別の原因にもなりました。

この点については、別の記事で述べる予定です。

私どもが言いたいことは、物理的な汚れというよりも、「心の穢れ」の問題です。

前の記事であげた「穢れ」とは異なり、自分自身の心の中の問題に目を向けることが、現代ではむしろ重要なことだという立場をとります。

祓いの目的

神道における祓いは、個人の救済を目的とするものだけにとどまりません。

社会全体の祓いを最終的な目的として行われます。

神道において重視されるのはコミュニティ(生活共同体)だからです。

自分だけが救われればそれでよいとは考えないのです。

人々の調和を重視する神道では、「みなが等しく幸福になること」を追求します。

これは紀元前10世紀ころから始まったとされる弥生時代以降の水稲稲作文化から受け継がれてきた精神だと思います。

ヤシロ(祭祀場)がムラの生活の中心であり、同族=氏子によって祭が継承されてきた歴史が、その根幹にはあります。

だから、生活共同体に暮らしている人々全体のよい有り様(Well-Being)を祓いによって実現していくことが重視される伝統が今にも継承されているわけです。

喜びと楽しみをみなで共有できるようになって、初めて祓いは達成されるというわけです。

その祭祀の精神は、縄文文化とも重なっている部分もあります。2つの文化は700年間ほど併存していたので、両者が交流することによって、縄文的な祭祀も取り込まれていったはずです。


ャーマンが祭祀を取り仕切り、一族の安寧と繁栄を祈念してきた心にも通じるのです。

祓いのプロセス

祓いの第一段階は、自分自身の罪障の自覚を促す禊ぎです。

禊ぎとは、本来海や川など水に浸かって心身を清める洗礼のことです。

これも、ただ水に浸かればいいという問題ではなく、自分が犯した罪や穢を反省しながら洗礼に臨むのです。

禍津日(まがつび)という概念が神道にはあります。

人が一生のうちに犯す多くの罪穢が八十禍津日(やそまがつび)であり、中でも最大の罪穢を大禍津日(おおまがつび)と言います。

神道ではそういう罪穢に対しても<禍津日神>(まがつびのかみ)という神の名を与えます。

すなわち、神の名の下に、自分自身の行いを徹底的に反省し、また自覚をしていくことから祓いは始まるというわけです。

「すまない、申し訳ない、いけないことを自分はしたのだ」という自覚を促進する心の作業そのものが神の働きを介して起こると考えるのです。
 

第2段階として、罪穢を祓い捨て、本来的な自己を取り戻すための向上心を起こし、そのための努力を払います。

これを直毘(なおび)と言います。

この場合、まずは「自力」で最大限の努力をします。

慢心やわがままを捨て、素直になって自分をどう改善していったらよいか考えをまとめ、それを実行に移すのです。

これと同時に、目には見えない守護の力もいただくように魂を神に委ねることも重要です。

つまり、自分の心の内側からわき起こる「他力」=神の加護によって祓いは達成されます。

このときに生成される神が<神直毘神>(かんなおびの神)です。

最終的に、祓いが確立されるには、本人の向上心に基づく強固な意志、不動の信念が必要です。

この信念を喚起するときに現れる神が伊豆乃売神(いづのめのかみ)です。

このように、神道では、祓いの段階の進行に沿って生じる自己反省、振り返り、向上心といった心の動きのそれぞれに<神>を対応づけ、その神を観念しながら、自己浄化を試みるのが特徴なのです。

心の変容によって「神」は生成されます。

それゆえに、神は自分の心の中に住まうのだといえるのです。

「内なる神」をイメージすることで心の変容を促そうとする方法は、一種の心理療法=セラピーだと見なすこともできるでしょう。

祓いの心理学的効果

そこで、「祓い」を心理学的な観点から説明してみましょう。

人は、自分に注意が向くような状態のとき、自分の行動が適切であるかどうかをチェックしているという理論があります。

これを客体的自覚理論と呼びます。

この理論によれば、客体的自覚状態、すなわち自分自身を対象として注意を向けた状態にあるときには、自分のもっている特徴が顕著となり、その特徴に対して自分が適切な状態にあるかどうかの基準が明確になってきます。

たとえば、鏡に自分の姿が映し出されているようなとき、自分の声を録音された音声データで再生して聴くとき、否が応でも注意は自分に向けられます。

適切さの基準がはっきりしてくると、その基準に従って人は自己評価をするようになります。

多くの場合、現実の自分がこの基準に達していないために自己嫌悪感などの不快な感情を経験します。

その結果、人はネガティブな感情を軽減しようと望み、現在の自分の状態を基準に合わせることでその感情を解消しようとするのです。

祓いのときに<禍津日神>と向き合うことは、自分自身を客体化して見ることでもあります。

そうすることで、いかに今の自分が神の基準と照らし合わせてみて、不十分な状態に置かれているのか、不適切な行ないをたくさんしているのかという自己批判、自己反省の精神が生じます。

祓いの時に自分を客体として見ることは、自らの有り様を修正するためにも避けて通れないことなのです。

人と神の取り次ぎ役

神職、特に「巫女願望の強い人」に申し上げます。

神職というものは、人と神の取り次ぎ役になることが求められます。

祈願を依頼してきた人々(氏子)の家内安全、合格祈願、商売繁盛といった様々な願い事を成就させるにあたって、神職は祈願者たちの罪と穢れを振り返り、反省するように神前で導いていく役割があります。

その罪穢れを祓い清めた後で、はじめて神の加護の力が依頼者たちに働くようにすることが神職の使命です。

ご祈願、祓いを執り行う立場にある者は、それを受けようと思う人々に深い内省を喚起し、彼らの罪、穢れを洗い落とす「器」として普段から自分自身の行いも常に反省することが必要です。

神の前でその行為に赦しを請い、依頼者の穢れを一身に背負って神と向き合い、それそれの祈願が成就するように言霊を駆使していく使命を達成するためには、自分の「器」としての資質・能力をいつも磨いて生きていく覚悟が求められます。

この使命を達成するためには、まずは、自分自身の有り様を振り返って自分自身を祓うことが必要です。

これができなければ、人を祓うことなどはできません。

このことは、言葉や概念は違っていても、心理療法やカウンセリングなど「癒し」に携わっているすべての専門職にも当てはまることだと、私どもは考えています。

罪穢れを祓うことの意義

再び、大祓詞をテキストにして話を続けます。

「過ち犯しけむ種種の罪事」とは、秩序を乱し、定められた場から逸脱するような行為を指しています。

神の側から見れば、神の心から外れ、神の心を乱すような一切の人間の行いが罪となります。

大祓詞では、さらに犯したかもしれない人間の罪を天津罪、国津罪に分けます。

天津罪

•    畔放(あなはち)・・・他人の田の畔を壊して、水を多の外に出し、耕作を妨害すること 
•    溝埋(みぞうめ)・・・畔と畔の間の溝を埋めて田に水を入れないようにして耕作を妨害する
と 
•    樋放ち(ひはなち)・・・樋を敷いて谷から田に水を引いてくるのを取り放って、耕作を妨害すること 
•    頻蒔(しきまき)・・・一度種を蒔いた他人の田の上に、再び種を蒔き耕作田を横領すること 
•    串刺(くしざし)・・・他人の田の境界に竹を立てて境界を示し、耕作田を横領すること 
•    生剥(いきはぎ)、逆剥(さかはぎ)・・・人や動物を殺害すること 
•    屎戸(くそへ)・・・神聖な場所を汚すこと

このように、天津罪は人が生きていくために必要なもの、糧を奪ったり、生命そのものを絶つような行いを指しています。

人の命も、食物も元を正せば天からの授かりもの、神から賜ったものであって、それを勝手に奪うことは罪だという発想です。

国津罪

•    生膚断(いきのはだたち)・・・生きている人間の皮膚を切り取ること 
•    死膚断(しのはだたち)・・・死んだ人間の皮膚を切り取ること 
•    白人(しらひと)・・・血族結婚等によって白子が産まれること 
•    胡久美(こくみ)・・・瘤、腫瘍等ができること 
•    己が母犯せる罪、己が子犯せる罪、母と子と犯せる罪、子と母と犯せる罪⇒近親相姦 
•    畜犯せる罪・・・獣姦など畜生のような行為をすること 
•    昆虫の災(はうむしのわざわひ)・・・蛇やムカデなど地面を這う動物によって害を受けること 
•    高津神の災・・・雷によって人畜が被害を受けること 
•    高津鳥の災・・・鷲や鷹などによって人畜がさらわれる被害 
•    畜仆(けものたおし)・・・ケモノを呪い殺すこと 
•    蠱物為る罪(まじものせるつみ)・・・まじないをして、正しいものを混乱させる罪 

このように国津罪とは人間界に混乱、血をもたらし、人倫に背くことであり、その他天災やアクシデントが含まれています。

このような行為や出来事が神代の昔の「穢れ」であり、あってはならない罪、起こってほしくはない出来事だったのです。

逆を言えば、大祓詞が編み出された時代には、上にあげたような「罪」が多発していたことの裏返しでもあります。

現代人の価値基準から見ると、納得のいかない事柄も含まれているとは思いますが、古代社会では「個人」という概念はなく、「コミュニティ」中心に生活が営まれていました。

そのコミュニティの秩序を乱し、混乱を引き起こすような行いをすれば厳しい制裁が科せられる運命にあったのです。

私どもの一族は、古代人の祭祀、その意義について霊的な方法を通じて情報を持っています。

上にあげたような「罪」は、ごく普通に起こっていた事柄ばかりです。

私どもは縄文時代、弥生時代、古墳時代の遺跡に赴いて、現地でその地域特有の霊性文化、その時代に生きた人々の祭祀について、多くの事柄を学びましたが、いずれも現代人の感覚ではあり得ない儀式が行われていました。

ここではあえて述べませんが、過去記事にその一端を記していますので、古代人の霊性感覚が現代的な視点から見れば、尋常ではなかった、残虐な行為もまかり通っていたことを知っていただければと思います。

いずれにしても、確信犯的、故意による罪はもとより、目には見えない罪、自分自身に意図がなくても他者に損害や不快感を与えるような<自分が犯したかもしれない>罪についても自覚を促し、神の前で贖うべきだと考えられたわけです。

おわりに

神道には生命賛歌の精神が基底にあります。

仏教と決定的に違うのは、神道の祭祀には私たちの未来を明るく照らし出し、生きる力をもたらす人生儀礼がある事からも分かります。

罪、穢れは神様が祓って下さる。

厳しい苦行・修行もしなくて構いません。

人間は本来自由であり、反省だけではなく、自分を変えるには祝詞を奏上するだけで良いのです。

大祓詞で罪・穢れを祓えるのです。

人間には厳しい修行など必要はありません。

自分を鍛える為に修行をするなら、努力と忍耐を上手く使いこなし、生き抜く事が最強の修行になるのです。

霊力が欲しくば焦らず神々の存在を信じきり、大祓詞を唱えながら神社の空気を肌で感じ心の奥にある本当の神性(心)を出しきれば良いのです。

大祓詞の内容を読めば分かると思いますが、神々の実在と私達は繋がっている事が分かります。

私達の本性も、また「内なる神性」への確信から大祓詞が生まれました。

私達の本来の姿である神性とは心の有様そのものです。

罪、穢れを消し去り、自分を守るのが祓いなのです。

仏教は罪、業を清めると言います。

これに対し、神道は大祓詞で罪や穢れから守り、幸せの道しるべとして神々の実在を教えてくれています。

この精神が現代にも受け継がれていくことを私どもは願ってやみません。

次回は、「穢れ」概念が社会的差別を助長した歴史について考察したいと思います。

(続く)

参考文献

1.岡田米夫 1962 大祓詞の解釈と信仰 神社新報社

2.Duval, T. S., & Wicklund, R. A. (1972). A theory of objective self-awareness. New York: Academic Press.

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