明智 人生をごいっしょに
【宇宙の果てまで拡散希望2】呉座勇一氏の奇説と信者たちの擁護に困惑する
1)下記 #呉座勇一 氏インタビュー記事とこれに対するツイッターでの擁護には問題があると思いますので、連続投稿して意見表明します。
「歴史に学ぶくらいならワンピースを」日本史学者・呉座勇一の警告
2)嵯峨良蒼樹は基本的には「言わぬが花」という考えを持っていますが、当該呉座勇一インタビューに関するツイートに「リテラシーのない人間がTwitterで騒ぎ出す実例(笑)」という下記RTがありました。これに対して沈黙していると、このツイートの主の見解を黙認したと見られる恐れがあるので反論します。
3) 歴史訂正主義者 @nagarekubouは「リテラシーのない人間がTwitterで騒ぎ出す実例(笑)」としていますが、#呉座勇一 さんの研究者らしからぬ史学風漫談を真に受ける人々の方が研究や科学というものを理解していないと思います。以下当該インタビューのおかしさについて指摘します。
4)まず研究者とは「検証された知識の生産者」と定義しておきます。知識の検証あるいは正当化の定義は論者によって力点の違いがあると思いますが、事実と論理に基づき、明確で反証可能な(falsifiable)認識を提示することといって大過ないと思います。
5)具体的には研究者は、適切なデータを持ち、それを論理的に積み重ねて結論した命題を、言い逃れできない形で明確に提示するもの。研究者は読み手としても著作の一文ずつ命題の適否を検証するものです。#呉座勇一 氏インタビュー記事にはこの点でいくつか問題がありますので列挙します。
6)主張その1「一般的に知られていなかったり、メディアで語られていなかったりする情報を自分が知ることに、人は優越感を覚える。」「近年はTwitterなどSNSの利用が浸透したことで、陰謀論はかつてより大きな力を持つようになった。これはまずいな、という問題意識」。これは事実に基づいているか?
7)その1検証。この主張は「陰謀論が優越感を覚える人によって流布し「かつてより」影響力を持つようになった」という命題にまとめられると思いますが、何らかの統計を扱う人がまじめに検証するなら、根拠となる統計データを求めるでしょう。
8)その1検証続き。Q1呉座氏が批判の対象としている本能寺の変などに関する著作は「陰謀論」を知ることに優越感を覚える人が購入しているのか?Q2また「陰謀論」は読者に信じられ「かつてより大きな力を持つようになっ」ているのか? いずれも対抗仮説が考えられます。
9)その1検証続き。A1例えば#明智憲三郎 氏の本能寺の変は人目を引くタイトルと子孫を自称する著者への好奇心から購入する人も多いのでは?A2「陰謀論」を「話半分」の娯楽として楽しんだ後忘れる人も多いのでは?
10) その1検証続き。呉座氏が読者による「陰謀論」受容に関する統計データを持っているとは思いません。いわば「皮膚感覚」で陰謀論流布への危機感を語っていると思います。それは呉座氏の自由と思いますが、その仰々しさに多少のうさん臭さを感じる人もいるはずです。嵯峨良蒼樹もその一人です。
11)その1検証続き。陰謀論を信じている人が見かけられる、という命題は妥当(その否定には陰謀論信者がいないという悪魔の照明が必要)と思いますが、優越感を覚える人による陰謀論流布や陰謀論の影響力拡大という命題それ自体が検証困難で、陰謀論に似ていると思いますがいかがでしょうか。
12)その1検証続き。そもそも「陰謀論」と呼ぶものは必ずしも悪いものなのか?歴史に関する陰謀論が他人に迷惑をかけているとも、陰謀論信者にとって致命的な害があるとも思われない。陰謀論提唱者や信者が批判者の会社の社長や上司であるというツイートが散見されます笑
13)その1検証続き。「陰謀論」を信じている人が見かけられるという程度の、派手さはないが穏当な現状認識に基づいて、淡々と議論した方がよいのでは? 「陰謀論」や俗説通説の検証も、大河ドラマ #麒麟がくる を踏まえて本能寺の変論争が盛り上がることも結構なことと思っていますが、
14)その1検証続き。最近の陰謀論流布の危機に立ち向かう若き史学のヒーロー、というような仰々しい演出に多少のうさん臭さを感じ、それをもてはやすツイートを見かけると、歴史への知的探求心以外の「異物」、史学へのフェティシズムや陰謀論信者を罰したいという願望を感じます。
15)主張その2「歴史『に』学ぶのをやめることです。」「ビジネス書には『信長のようにビジョンを持て』などという話がよく登場しますが、ビジョンを持てばうまくいくというのは少し違う」「むしろ(中略)危機管理能力に注目したほうが、現代を生きる上で役立つのではないでしょうか。」
16)その2検証。「歴史『に』学ぶのをやめる」というのは、研究者が避けるべきあいまいな言葉です。もっとも広義に解釈すれば、「歴史に関する知識を何らかの形で役立てる」ことをやめるべきだということになり、ならば何のために歴史を学ぶのか、と首をかしげざるを得ません。
16b) 「歴史『に』学ぶのをやめる」ことに同意するのは、こんにゃく問答のようなものです。禅僧とこんにゃく屋扮する住職が明確な言葉を交わさずお互いの仕草から勝手な想像をふくらませるのと同じです。こういうあいまいな言葉に特別な意義を想像して賛同してしまう人には同調圧力・同調願望があるのでは?
17)その2検証続き。「ビジョンよりも危機管理能力に注目したほうが、現代を生きる上で役立つのでは?」とまとめられる主張も研究者らしからぬ言い回しです。歴史学者は史料から信長の「ビジョン」らしき内容を取り出し、想像することはできるかもしれませんが、上記命題に結論は出せないはずです。
18) その2検証続き。企業のビジョンも危機管理能力も、経営に役立ちそうな要素とまでは言えてもそれらを「もてばうまくいく」か否か一般的な判断は下せません。まして両者の優劣の立証は困難かつそもそも不毛です。これらは歴史学であろうと経営学であろうと研究者の守備範囲を超えています。
19)主張その3。「歴史を物語として学んでしまうと」「大やけどをする」例として、「例えば、太平洋戦争。日本軍が奇襲を多用した背景の一つに(中略)『鵯越の逆落とし』があったと言われます。」これらは研究者の発言として適切か?
20)その3
証。Q1日本軍は歴史を物語として学んだのか?Q2「奇襲」を多用したのか?Q3その結果「大やけど」したのか?いずれも思い付きの域を出ない内容であり、関連分野(軍事研究、政策研究、計量的手法の専門家など)の研究者が聞いたらいやがると思われます。
21)その3検証続き。Q1はともかく、日本軍が「奇襲」を「多用」したというためには「奇襲」を厳密に定義して実例を抽出し、さらに他の軍隊などと比較する必要があります。日本軍は何回「奇襲」したのか?5回、10回、50回でも、客観的に「多用」というには他との比較が必要です。
22) その3検証続き。「大やけど」も定義不明。漠然と日本の敗戦を指しているとしたら「奇襲」との因果関係は証明困難です。また「奇襲」はそれ以外の軍事行動と比較して問題があったのか、も不明です。両者を評価し比較するための適切な基準設定や、有効な質と量のサンプル収集は困難では?
23)主張その4。「ビジョン」や「物語」を「求めるなら、ぜひ『ワンピース』や『スラムダンク』などの素晴らしいフィクションでどうぞ。歴史を『物語化』するのは全くお勧めしません」「この本を通して、歴史学の手法をぜひ知ってほしいです」
24)その4検証。歴史の「物語化」を否定しつつマンガを「素晴らしいフィクション」とし、歴史学の手法を学ぶために自著の購入を勧めていると解釈するしかないと思われますが、あいまいで真意不明で誤解を招く主張です。不適切な例示もあり、「オーディエンス」への意識の欠如も問題です。
25)まず「歴史の『物語化』」があいまいで、「歴史を『物語化』するのは全くお勧めしません」と言われると、歴史の「物語化」で多くの人が想像するであろう歴史小説や歴史ドラマも含め「全くお勧め」しない、歴史の「物語化」の要素があるものは全否定していると考えざるを得なくなります。
26) ビジョンや物語がある「素晴らしいフィクション」として『ワンピース』や『スラムダンク』を挙げるのも、困惑を招き巨大な空洞がある不適切な例示です。本気でそう考える人は少数でしょう。何を言っているつもりなのか?皮肉なのか、冗談なのか真意を測りかねます。
27)歴史小説や歴史ドラマはどうなのか?歴史研究者でも歴史小説や歴史ドラマを否定する過激な史学至上主義を信奉するに至るとは考えにくいのですが、「テキスト」としては「歴史を『物語化』するのは全くお勧めしません」とあります。歴史小説や歴史ドラマに関する言及がないので、その真意は読み取れません。
28)オーディエンスへの配慮の欠如も問題です。歴史に関するネット記事には多様な読者がアクセスするはずですが、『ワンピース』や『スラムダンク』がビジョンや物語がある「素晴らしいフィクション」という主張に違和感を持たない人の方が多いのは確実です。戦略的に混乱をおこす気なら別ですが。
29)以上呉座勇一氏インタビューについて細かく見てきましたが、問題点をまとめると、
1)あいまいで真意不明の内容が多すぎる、
2)検証困難な俗説が多い、
3)受け手の反応に対する洞察力がない。
つまり研究者としての明晰さ、検証可能性、洞察力にかけると評せざるを得ません。
30)1)明確な主張を検証して科学的知識を生産するよう訓練されている研究者は、書くものでも発言でも誤解やごまかしを生む多義的文言や表現を避けるものです。
31)2)また歴史研究者が史料を精査するように、あらゆる分野の研究者や専門家は、自分の知識に基づいて文章や発言のテキストに含まれる命題を抽出し、その適否を一文一文精査判定するものです。総合大学で他分野の研究者と多少の交流経験がある研究者なら経験があるでしょう。
32)3)またそうした「ピアレビュー」に慣れている研究者は自らの発信内容の受け手が誰かを理解して、その誤解や非難を受けないよう配慮するものであり、配慮すべきものです。他分野で誤謬、あるいは検証困難とされるような主張や、読者の間で解釈が不必要に分かれるあいまいさは避けて当然でしょう。
33)以上嵯峨良蒼樹は呉座勇一氏インタビューを一読して色々困惑したわけですが、「言わぬが花」、露骨なダメ出しも呉座ファンの感情的反発を招くのも気持ちのいいものではない、と思う一方暴走もしてほしくないので、「歴史を『物語化』するのは全くお勧めしません」の部分だけ以下のように指摘しました。
「嵯峨良蒼樹 @SagaraSouju
#呉座vs明智論争、いよいよ場外乱闘の様相です。#呉座勇一 さんが暴走し始めた。「歴史に学ぶくらいなら」マンガを読もうと言われてうなずく人は多くないと思います。そうではなく陰謀論を読むなら歴史小説を読もう、あるいは『平家物語』のような古典を読もう、と言った方が支持されたでしょうね。」
34)歴史作家伊東潤氏も厳しい反応をしていました。ツイッター上でも宣伝をしている本業の作家ですから、歴史小説を否定すると読める有名人の発言がネットで流布されていれば「何を言っているんだ?」と反応するのは当然です。その真意に関わらず、歴史小説を否定していると多くの人が受け取るのが確実な内容の流布が問題です。
「伊東 潤
作家
2018年08月06日
「それを求めるなら、ぜひ『ワンピース』や『スラムダンク』などの素晴らしいフィクションでどうぞ。歴史を『物語化』するのは全くお勧めしません」
こんな人どうでもよかったけど、物語(歴史小説)の領域に踏み込んでくるなら勝負してやる。
誰もが陰謀論なんて話半分で聞いている。
歴史小説だって同じだろう。
つまり楽しんでいるだけだ。
史実の外護者の顔をして、物語をつぶそうとする発言は許さない。
それなりの雑誌がリングを整えてくれたら、対談する用意はある。」
35)伊東潤氏も呉座氏が本気で歴史小説を含むあらゆる歴史の「物語」を否定しているとは思えなかったでしょうが、テキスト上『ワンピース』や『スラムダンク』を「素晴らしいフィクション」としつつ「歴史を『物語化』するのは全くお勧めしません」と明言されては、反応せざるを得なかったでしょう。
36)上記伊東潤氏の投稿への呉座氏の対応も、他のツイッターアカウントの反応も社会常識的観点からも史学的観点からも問題だと思うので以下指摘します。
まず、呉座氏はメッセンジャーボーイ経由の奇異なやり方ですが
「歴史小説を否定している」のではないと回答しました。下記はメッセンジャーボーイのツイートです。
「呉座先生曰く。
「歴史を『物語化』」って言い方を私はしてなくて、記者さんのまとめ方なのですが、もちろん歴史小説を否定しているわけではありません。要は「歴史を想像でいじくった上で真実として売り込む」「真実として受け取る」ことを批判しているのです。
とのことです。
22:44 – 2018年8月6日」
37) 「呉座先生曰く。」が孔孟の教えを愚民に告げるようで印象的です。
この回答は新たな問題と疑問を生みます。ひとつは責任問題です。学生気分だと分らないでしょうが、呉座氏が記事を「欠陥品」と認めている以上、回収または訂正が必要であり、関係者の責任の範囲を決める必要も出てきます。回収に費用が掛かる場合、責任割合を決めて費用分担することになります。
38) 「歴史を『物語化』」というまとめ方をしたのは100%記者の責任なのか、呉座氏にも責任があるのか。呉座氏を信じたい人は100%記者の責任として終わりにしたいかもしれませんが、呉座氏の発言自体が誤解を招く内容だった可能性を確認する必要があります。
39)研究者としても責任問題はあります。研究者は著作でも発言でも正確を期すべきであり、取材記者が発言内容を正しく伝えなかった場合、研究者本人の重大な信用問題になります。最近も、「難しい」という言葉だけを切り取られて報道された研究者がメディアに対し抗議しているというツイートがありました。
40)そもそもビジネスでも研究でも、「欠陥品」を生み出さないことが求められています。製造業では「品質保証」といい、「発生防止」「流出防止」という防止策が取られるものであり、研究者も同様のスキルがあるべきです。
41) 「発生防止」というのはそもそも欠陥品を生み出さないことで、インタビューでは明確で誤解を生まない発言をすることです。「流出防止」は、出荷前に製品を検査して不良品を排除することで、今回はインタビュー後の記者との理解内容確認や、配信前の原稿チェックです。会社でも議事録を作りますね。
42) ビジネスの世界では不具合発生時の様々な分析手法があり、問題の性質を解明して再発防止=二度と起こらないようにするプロセスを策定するものですが、今回の場合、何が起こったか、そもそも「発生事象」詳細か特定されないので、再発防止策も不在である可能性が高いです。
43) 「記者のまとめ方」の問題とだけ主張して終わる呉座氏には元から欠陥防止策がないのでは、という危惧を感じます。ということは、再発のリスクがあるということです。ネットで陰謀論や俗説流布を憂えて正そうと立ち上がったはずの呉座氏が自分名義の欠陥品回収訂正に努めないのは自己矛盾です。
44)呉座氏の対応は「大人の世界」のクレーム対応としても未熟だと思います。「記者のまとめ方」の問題だけ指摘すれば、呉座氏にインタビューした記者と配信元の信用が傷つくリスクがあります。記者のまとめ方が許せないほど間違っているのなら仕方ありませんが。
45)呉座氏の発言にも誤解を招く要素があったのなら、一緒に仕事をした仲間である記者を守る配慮もすべきではないでしょうか。しかしそのような事後対策は困難なので、常日頃発生防止策をしっかりすべきだと再度思います。「駟も舌に及ばず」ということわざがあるそうです。
45b)以上全部、IBM勤務経験があり、コンサルもしていた伊東潤氏も熟知し、その上で上記反応をしていることと思います。ちなみに呉座氏が批判している三菱電機出身で子会社の常務にまで出世した明智憲三郎氏もご存知でしょう。
46)多忙なので一々対応しきれない、仕方がないと擁護する人もいるかもしれませんが、プロとしてはほめられません。製造業で増産対応したので不良品が増えても仕方がない、という言い訳は通用しません。研究者の世界でも、情報発信の質を維持するために、不用意な発言を避けるべきです。
47)呉座氏が「歴史を『物語化』」と言っていないとしてもう一つ、「史学的観点」から疑問が生まれます。
「では呉座さんは一体何を言ったのか?」という疑問です。
このインタビューが「記者さんのまとめ方」によって発言内容が正確に伝わらない欠陥品であることは呉座氏本人が認めました。
48)では、元々何と言ったのか?上記指摘したような問題点はどこまで呉座氏本人の発言によるものなのか?「記者さんのまとめ方」による誤解なのか?何がどう誤解されたのか?後世の歴史研究者が呉座氏の発言に何らかの意義を見出すなら、そういう検討を行うでしょう。
49)「歴史上の史料は、偽書なども紛れていて実に玉石混交です。そういったものを慎重に見定め、真実にたどりつこうとする歴史学の手法は、現代の情報社会を生きるうえでのスキルにも近いと私は思います」呉座氏はこれが自分の言葉なら、実際の発言内容を明らかにすべきでしょう。それともこれも「記者さんのまとめ方」でしょうか?
50)メッセンジャーボーイによれば「要は「歴史を想像でいじくった上で真実として売り込む」「真実として受け取る」ことを批判しているのです。」とのことですが、
それをどうまとめると「それを求めるなら、ぜひ『ワンピース』や『スラムダンク』などの素晴らしいフィクションでどうぞ。歴史を『物語化』するのは全くお勧めしません」という記事となって出てくるのか??? 疑問は尽きません。
51)歴史的事実の解明を行う歴史学者らしく元々の発言内容がどのようにまとめられて奇妙奇天烈な当該記事になったのか、是非明らかにしていただきたい、すべきと思いますが、
史学「風」アカウントが伊東潤氏のツイートをきっかけに呉座氏を免責しようと擁護するばかりで強い違和感を感じています。
52) 史学風アカウントの呉座氏インタビューへの擁護は、1) 「歴史を『物語化』するのは全くお勧めしません」というのはメディアの誤報で呉座氏に責任はない、2)当該記事を歴史小説の否定と受け取るのは読み手の読解力あるいはリテラシーの問題、3)呉座氏の他の発言等を参照しない脊髄反射などです。
53) 1)メディアの誤報で呉座氏に責任はない、という論法を認めるならば、呉座氏の
前でメディアから出されるものは、写真付き単独インタビューですら本人の発言として信憑性がないことになります。呉座氏も研究者もこのような言い訳を採用すべきではない。本来全く「論評に値しない」妄言ですが、念のため指摘しました。
54) 2)当該記事を歴史小説の否定と受け取るのは読み手の読解力あるいはリテラシーの問題、という主張は、「記者さんのまとめ方」の問題だとする呉座氏本人が否定していると言っていいでしょう。そもそも早稲田大学出身の有名作家が「誤読」しているなら、日本人の9割には正しく伝わらない欠陥品では?そもそも何が正しい内容なのか不明な記事からは正解は読解できません。
55) 3)呉座氏の他の発言等を参照しない脊髄反射、という擁護は、こちらのツイートのことです。
「平林緑萌 @seikaisha_moegi
呉座勇一さんを「歴史小説否定論者」と決めつけている諸氏に、明確な反証を置いておきますね。
まずは『波』に寄せられた和田竜『村上海賊の娘』の書評。
…
添付画像は、1枚目が『文藝』(2018年秋期号)。2、3枚目が『新説 応仁の乱』(2017年)よりとなります。
10:50 – 2018年8月7日」
「平林緑萌 @seikaisha_moegi
呉座さんが鍵垢なのをいいことに好き放題誹謗するのは感心しませんね〜最低限調べてからよろしくやで〜〜というお話。
10:51 – 2018年8月7日」
56)「「歴史小説否定論者」と決めつけている諸氏」は誰か不明ですが、通常の読者は当該記事内容の「テキスト」を読むと「『ワンピース』や『スラムダンク』などの素晴らしいフィクション」と呉座氏が全くお勧めしないという「歴史を『物語化』」という二種類のうち、歴史小説は歴史の『物語化』の一種と考えざるを得ないと考えますがどうでしょうか。
そうではなく「『ワンピース』や『スラムダンク』などの素晴らしいフィクション」の中の「など」に歴史小説を含むという意見の方はどう考えたらそういう結論に至るのかご教示ください。
57)メッセンジャーボーイによる呉座氏の主張によれば、歴史小説を否定しているわけではないそうですが、元々の発言には歴史小説への言及があるのでしょうか。それが「『ワンピース』や『スラムダンク』などの素晴らしいフィクション」となってしまったという主張を信じるには、元の発言全文を公開してもらうしかありません。
58)「呉座さんが鍵垢なのをいいことに好き放題誹謗する」という主張も奇怪な被害妄想です。呉座氏が自ら「鍵アカ」の設定をしていわば「ゴザのカーテン」の中に隠れるのは本人の選択でしょう。「鍵アカ」であるとなぜ好き放題誹謗できるような違いが生まれるのか不明です。
59) 平林氏は「「歴史小説否定論者」と決めつけている諸氏」への「明確な反証」として呉座氏の他の記事を挙げ「最低限調べてからよろしくやで〜〜というお話。」というのですが、インタビュー記事の問題は、有名な呉座氏が歴史学者として「歴史を『物語化』するのは全くお勧めしません」という混乱を招く主張をしているとしか読めない内容を流布していることです。ネット記事読者は呉座氏の思想の研究者ではないのです。
60)伊東潤氏の反応も決めつけではなく、「歴史を『物語化』するのは全くお勧めしません」という言葉が歴史作家仲間や読者たちに及ぼす混乱を危惧してのことでしょう。書店の歴史小説コーナーの横で呉座氏の写真付きで「歴史を『物語化』するのは全くお勧めしません」と書かれたポスターを掲げたり、叫んだりするようなもので、「何が言いたい?」と反応するのは当然です。
当該記事は呉座氏の意図に関わらず、お小遣い稼ぎではなく本職の作家の大事なお仕事の邪魔になっているのですが、平林氏は気にならないのでしょうか?
61)サガラも呉座氏が歴史に関する創作全体を否定するとは考えにくいがテキストはそう読むしかないので文字通り理解に苦しみました。歴史小説や古典を読もうというべきだったとツイートしたのは記事が真意不明で、それらへの評価が不明だからです。伊東潤氏が対談する意思を示したのも、真意を確認する気だったからでしょう。
62)当該記事は呉座氏の著作を宣伝するいわばコマーシャルであり、それ自体単独で過不足なく適切な完成品であるべきものです。したがって、それが誤解を招くのは不適切なテレビCMの「炎上」と同様で、発信側の問題です。他の記事や著作を読まねば真意不明なインタビュー記事は欠陥品です。欠陥を防止しなかった呉座氏や記者はお粗末です。
63)当該記事は削除あるいは訂正されるまで、一定の割合で読者に混乱をもたらし続けるでしょう。これに対して読み手に呉座氏の他の著作等を調べるよう主張する平林氏の主張には同意できません。第一に、欠陥品対策として間違いです。第二に、研究者は個々の著作や論文、記事の内容を保証すべきです。
64)一般の読者にとって当該記事はネット記事の一つでしかなく、呉座氏の他の著作まで確認する人も、ツイッター上での呉座氏擁護を見る人もごく少数に限られるでしょう。自動車などのリコールと同じで、記事本体の削除か訂正まで、誤解や俗説の拡大は止まりません。
65)また、他の幾多の論文や記事と競う研究者は単体で理解できるものを発信すべきでしょう。読者が「呉座勇一の研究」をしているのでもなければ、単独では真意不明な記事の理解のために他の著作を読むよう要求するのは異様です。ファン以外の人にとって呉座氏は数多の歴史研究者の一人でしかありません。
66)研究成果や発言への評価は新薬テストのようにブラインドテストされる心構えが必要です。つまり、肩書や名義を隠した状態でいわば「ミスターX」でも同様の評価を得られるものこそが本物です。
67)もう一点。研究者でも作家でも、最新のアウトプットに最新の見解を表明すると見るのが自然ではないでしょうか。過去の発言が現在の発言の助走のような役割を果たすこともあるでしょうが。
68)以上史学風アカウントの呉座氏の擁護について、問題を指摘しましたが、彼らの擁護の最大の問題点は、呉座氏を免責しようと擁護に努める一方、事実の解明を行うことなく反論を封じ込めようとする傾向が見られることです。
6
9)すでに指摘したように、インタビュー記事で呉座氏が発言したことになっているこんにゃく問答的主張は、呉座氏は常に正しいと信じたい人は最大限好意的に解釈するかもしれませんが、俗説とあいまいな内容が多く、自著宣伝のために奇をてらった史学風漫談にしか見えません。
70) 「うそ、大げさ、まぎらわしい」はJARO(日本広告審査機構)のCMで使われた言葉ですが、呉座氏インタビューはすでに「大げさ」(陰謀論の誇張)と「まぎらわしい」(あいまいさ)の二要素を満たしており、さらに「記者さんのまとめ方」が事実でなければ「うそ」の三要素がそろってしまいます。
71)しかし、呉座氏を擁護する史学風アカウントは呉座氏を免責すべく擁護しても元の発言内容には関心がないように見受けられます。呉座氏という人を擁護しても、当該記事の内容を擁護していない。
72)それは彼らが史学への関心よりも彼らのヒーロー呉座氏と、呉座氏を信じる自分が正しいと信じたい欲求が強いためなのではないか、疑問を感じます。
いうなれば「呉座真理教」のようなものが生まれかかっているような不安を感じます。
73)以前から「呉座ポーズ」や「人斬りGOZA刀斎」など、呉座氏の主張内容よりもその批判を痛快がるツイートが目立つように思われ、本能寺の変批判でも本能寺の変自体についての考察があまりないように思われたので、若干の違和感を感じていました。
74)今までサガラは呉座氏の活動は歴史リテラシーを高め、史学振興につなげる「善意の人寄せ興行」として基本的に好意的に見ておりましたが、「呉座vs明智論争」には歴史関連書籍のシェア争い以外にもいわば「史学風世間知らず」と「学校嫌い」という社会層同士の対立の側面(ただし明智氏は慶応理系院卒)も感じて下記ツイートなどしました。
「嵯峨良蒼樹 @SagaraSouju
嵯峨良蒼樹さんが嵯峨良蒼樹をリツイートしました
#呉座vs明智論争 は理詰めの30代研究者と、企業社会で結構成功した60代企業人の論争でもあります。「よく調べて色々考えてるようだが、君の言うことには説得力がないんだよ」みたいなやりとりを「理屈が通らねえ」と嘆く層と、「会社は学校じゃねえんだよ」と痛快に感じる層に分かれそうです(^^)
嵯峨良蒼樹さんが追加
嵯峨良蒼樹 @SagaraSouju
#明智憲三郎 さんの反応を見ていると、にわかで世間知らずの若造の研究者が何を言う?という思いなのだと思います。ほとんどの研究者は(当然)本能寺の変だけ研究しない「にわか」で憲三郎さんより年下で、大学の外の世界を知らない「世間知らず」です。武田重臣くらいでないと説得されないかと(^^)(続 …
15:58 – 2018年7月19日」
75)内容に賛否はあるでしょうが、#呉座vs明智論争にはベストセラー著者同士の論争と、ツイッター上での良質なコミュニケーションが日本社会の歴史リテラシーと歴史に関わる活動への支持を高めることを期待していました。
しかし、今回のインタビュー記事擁護ぶりからは、呉座氏周辺の史学風アカウントが明智氏支持者以上にカルト信者的傾向を示し始めたように見えます。
76)呉座氏の擁護には熱心でも、その発言内容そのものや編集過程の検証、すなわち呉座氏の言説に疑問を呈することを避けるのは、史学者が行うべき事実の究明をなおざりにして、理不尽なオヤジに立ち向かう史学の若きヒーロー「人斬りGOZA刀斎」の物語とそれを支持する史学風アカウントの選民意識を擁護したいという思いのなせる業ではないでしょうか。
77)ここまで呉座氏を擁護する史学「風」アカウントと呼称してきたのは、史学「系」アカウントと呼んでアカデミアの本格的史学サイレントマジョリティと混同されるのを避けるためです。
78) 「アカデミアの本格的史学サイレントマジョリティ」のおおよその定義。アカデミアは研究者の世界。有名大学で博士論文審査をする大学教授や他の研究者から論文を引用される研究者がリードしています。本格的史学サイレントマジョリティは、そういう史学研究者たちの中でも自分の研究や大学行政で忙しすぎて、ツイッタラー世界に下りてくる余裕のない人々です。
79)いわゆるテニュア(終身在職権)を得ている彼らは大学の顔ともいえる存在です。一部の器用な人は自分の研究領域に関する危うげないツイートをしています。呉座氏が陰謀論流布を傍観していると批判する研究者のサイレントマジョリティには、情報発信の質を維持するためにも、不用意な発言を避けている人もいるでしょう。
80)今回の呉座氏擁護には、サガラの知る限りでは、そのようなアカデミアの本格的史学アカウントは登場していません。要するに、陰謀論批判に立ち上がった呉座氏と呉座氏擁護を優先している史学風アカウントは、アカデミアを代表する存在ではないことを自覚し自重すべきであり、他の人々も幻惑されるべきではないといいたいです。
81)他にも色々考えてしまったのですが、長すぎるのでこのくらいにしておきます。なぜこのような、自分の得にならない長文を書いて公表するのか?それは、冒頭紹介した「歴史訂正主義者」のようなアホがのさばるのを阻止したい思いもありますが、一番の動機は、呉座氏が持っているように見える魔法の棒ならぬ「学問棒」を真に受けた若い人たちが、「会社は学校じゃねえんだよ!」とののしられて苦しむ姿を見たくないからです。
82)特に重油の海を泳がされるタイガーマスクの「虎の穴」や、100人の仲間を倒さねば生き残れない北斗の拳の「修羅の国」のごとき大学院に進む人々には、ゆるゆるの史学風漫談が許されるのは、呉座氏のような一部の勝者であり、その背後には死屍累々、自分も多分その一人になるかもしれないと覚悟してほしいのです。
83)大学院(特に文系)に進学したからには「全ての望みを捨てよ」。そしてあなたの「学問棒」は多分アカポスには届かないし、常識や世間で生き残る知恵を学ばず史学しか学ばない人々は、会社で信長気取りで明智憲三郎氏や司馬遼太郎氏の小説を真に受ける上司や社長に「会社は学校じゃねえんだよ」とののしられる羽目になる。
84)この長文を詠んだ若い院生諸氏がこの警告を真剣に聞いて、重油の海のごとき研究生活を生き残れますように。しかし、それを生き残った者にも、研究室の継承者争い、という悲劇が待っている。かく
して「悲劇は、繰り返される・・・」(北斗の拳風)
あ、あれ、元々の構想とは違うけれど、これにて擱筆させていただきます。
アルファギークも知らない明智の秘密
今日は
そのあとはBMシアター!!
古川流唯くん!!
それと凄い告知が解禁!!
5月6日(日)
「彩の清流 水と緑のマルシェ」
さい川さくら公園
・所 在 地 大垣市墨俣町さい川堤外地
・アクセス JR大垣駅南口 名阪近鉄バスのりば(2)番から岐垣線「墨俣」下車、徒歩約16分
12時45分〜
神田陸人ソロライブ
5月14日(月)
場所:NDP STUDIO
時間:18:15開場/19:00開演
料金:2500円(ドリンク代別途必要)
約1時間の公演です。
5月20日(日)
池袋サンシャインシティ
明智 快適住まいを真心サポート
硫黄島の戦いは、戦史に残る壮絶で凄惨を極めた戦いです。
昭和20(1945)年2月19日の米軍上陸から、3月26日の玉砕まで繰り広げられました。
日米の島しょにおける戦いでは、唯一、米軍の死傷者数が日本軍のそれを上回った戦いです。
島にいた日本の守備隊は、陸軍が栗林忠道中将率いる1万3,586名、海軍が市丸利之助中将率いる7,347名、合計2万933名です。
米軍は、そこに11万の大軍を送りこんできました。
ここで戦死した市丸中将の遺した書は、なぜか日本よりも、全米の国民に影響を与えています。
あらゆる兵力においてはるかに勝る米軍との激戦において、市丸中将は、最後の総員突撃を敢行するに際して、「ルーズベルトに与うる書」を遺されています。
この「書」は、市丸中将の死後、「死に臨んだ日本の一提督の米国大統領宛の手紙」と題されて、米国の各大手新聞で、その全文が紹介されました。
また、戦後ベストセラーになったジョン・トーランドの「昇る太陽-日本帝国滅亡史」でも紹介されました。
その内容は、ひとことで要約すれば、強国が弱国を蹂躙し、支配し、奪うのが当たり前とする19世紀的覇権主義を否定し、世界の人種それぞれがそれぞれの地域で自主独立し、もって恒久的世界平和を実現するという、まさに現代の世界の人々にとって立派に通用する内容のものとなっています。
当時、米軍は、戦いの後、日本兵の遺体から所持品を確かめていました。
市丸中将は、それを知って、この「書」をしたためられています。
市丸中将が、最後の突撃攻撃を行って散華されたのは、3月26日です。
その9日前の3月17日、中将は、地下20メートルの洞穴に、動けるものを全員集めました。
そして副官である間瀬式次中佐が、一歩前に出て、「ルーズベルトニ与フル書」を読み上げた。
朗読が済むと、この書の和文のほうを通信将校の村上大尉が腹に巻きつけました。
英文のものは赤田邦夫中佐(二七航戦参謀)が身に付けました。
そして市丸中将は、栗林中将とともに、軍服にある一切の肩章を外し、ひとりの皇国臣民として、最後の突撃を行い、散華されています。
この最後の突撃のときの遺体の数は、わずか196柱でした。
陸海合わせて2万933名いた守備隊は、3月26日の吶喊攻撃のとき、動ける者は、すでに196名になっていたのです。
「ルーズベルトに与うる書」は、米海兵隊員の手で二人の遺体から発見されました。
従軍記者エメット・クロージャーは、発見の経緯と手紙の本文を4月4日、本国に向けて打電しました。
そして「書」は、米国内の様々なメディアで紹介され、全米で大絶賛されました。
「書」に書かれた理想は、形を変えて米国の理想となりました。
軍人にとっての勝敗は、もちろん戦いに勝つことです。
それが島の守備隊であれば、島を敵の手に渡さない、島を守りきることが軍人としての使命です。
けれど国を挙げての戦争は、国家の目的と目的がぶつかったときに、その紛争を解決するための最後の手段です。
大東亜戦争に関していえば、「優秀な白人種」が「劣勢民族である有色人種」を絶対的に支配し、蹂躙し、奪うのが当然とする価値観と、人種の平等と合い共に繁栄することを求める理想との戦いです。
市丸中将は、自らの死を目前として、たとえ硫黄島が奪われ、我が身が土に還ったとしても、人が人として生きることの大切さをこの「書」にしたためることで、死して尚、日本の描いた壮大な理想、悠久の大義のために戦い続けようとしたのではないか。
当時の駐米英国公使であるロナルド・キャンベルは、ルーズベルトについて、英国外務省に宛てた手紙で次のように書いています。
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ルーズベルト米大統領は、優秀な白人種とアジア人との交配によって新しいアジア系民族を産み出し、立派な文明と社会をアジアに建設しようと考えている。
ただ大統領は、白人より二千年も遅れた頭がい骨をもつ日本人はこの対象から除外し、もとの四つの島に隔離して次第に衰えさせようと考えている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
残念ながら、ルーズベルト大統領その人は、市丸中将の書簡が米本国に打電された8日後に他界しています。
けれど、市丸中将の「書」は、全米の良心を動かし、いまや人類の常識として後世に立派に生き残っています。
市丸中将の遺稿となった、その「ルーズベルトに与うる書」の全文を、口語訳、原文、でご紹介します。
市丸中将のまさに血を吐く思いで書き綴ったこの「書」は、当時の日本の心を描いた普及の名著ともいえるでしょう。
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【口語訳】ルーズベルトに与うる書
日本海軍市丸海軍少将が、フランクリン・ルーズベルト君に、この手紙を送ります。
私はいま、この硫黄島での戦いを終わらせるにあたり、一言あなたに告げたいのです。
日本がペリー提督の下田入港を機として、世界と広く国交を結ぶようになって約百年、この間、日本国の歩みとは難儀を極め、自らが望んでいるわけでもないのに、日清、日露、第一次世界大戦、満州事変、支那事変を経て、不幸なことに貴国と交戦するに至りました。
これについてあなたがたは、日本人は好戦的であるとか、これは黄色人種の禍いである、あるいは日本の軍閥の専断等としています。
けれどそれは、思いもかけない的外れなものといわざるをえません。
あなたは、真珠湾の不意打ちを対日戦争開戦の唯一つの宣伝材料としていますが、日本が自滅から逃れるため、このような戦争を始めるところまで追い詰めらた事情は、あなた自身が最もよく知っているところです。
おそれ多くも日本の天皇は、皇祖皇宗建国の大詔に明らかなように、養正(正義)、重暉(明智)、積慶(仁慈)を三綱とする八紘一宇という言葉で表現される国家統治計画に基づき、地球上のあらゆる人々はその自らの分に従ってそれぞれの郷土でむつまじく暮らし、恒久的な世界平和の確立を唯一の念願とされているに他なりません。
このことはかつて、
四方の海
皆はらからと 思ふ世に
など波風の 立ちさわぐらむ
という明治天皇の御製(日露戦争中御製)が、あなたの叔父であるセオドア・ルーズベルト閣下の感嘆を招いたことで、あなたもまた良く知っていることです。
わたしたち
本人にはいろいろな階級の人がいます。
けれどわたしたち日本人は、さまざまな職業につきながら、この天業を助けるために生きています。
わたしたち軍人もまた、干戈(かんか)をもって、この天業を広く推し進める助けをさせて頂いています。
わたしたちはいま、豊富な物量をたのみとした貴下の空軍の爆撃や、艦砲射撃のもと、外形的には圧倒されていますが、精神的には充実し、心地はますます明朗で歓喜に溢れています。
なぜならそれは、天業を助ける信念に燃える日本国民の共通の心理だからです。
けれどその心理は、あなたやチャーチル殿には理解できないかもしれません。
わたしたちは、そんなあなた方の心の弱さを悲しく思い、一言したいのです。
あなた方のすることは、白人、とくにアングロサクソンによって世界の利益を独り占めにしようとし、有色人種をもって、その野望の前に奴隷としようとするものに他なりません。
そのためにあなたがたは、奸策もって有色人種を騙し、いわゆる「悪意ある善政」によって彼らから考える力を奪い、無力にしようとしてきました。
近世になって、日本があなた方の野望に抵抗して、有色人種、ことに東洋民族をして、あなた方の束縛から解放しようとすると、あなた方は日本の真意を少しも理解しようとはせず、ひたすら日本を有害な存在であるとして、かつては友邦であったはずの日本人を野蛮人として、公然と日本人種の絶滅を口にするようになりました。
それは、あなたがたの神の意向に叶うものなのですか?
大東亜戦争によって、いわゆる大東亜共栄圏が成立すれば、それぞれの民族が善政を謳歌します。
あなた方がこれを破壊さえしなければ、全世界が、恒久的平和を招くことができる。
それは決して遠い未来のことではないのです。
あなた方白人はすでに充分な繁栄を遂げているではありませんか。
数百年来あなた方の搾取から逃れようとしてきた哀れな人類の希望の芽を、どうしてあなたがたは若葉のうちに摘み取ってしまおうとするのでしょうか。
ただ東洋のものを東洋に返すということに過ぎないではありませんか。
あなたはどうして、そうも貪欲で狭量なのでしょうか。
大東亜共栄圏の存在は、いささかもあなた方の存在を否定しません。
むしろ、世界平和の一翼として、世界人類の安寧幸福を保障するものなのです。
日本天皇の神意は、その外にはない。
たったそれだけのことを、あなたに理解する雅量を示してもらいたいと、わたしたちは希望しているにすぎないのです。
ひるがえって欧州の情勢をみても、相互の無理解による人類の闘争が、どれだけ悲惨なものか、痛嘆せざるを得ません。
今ここでヒトラー総統の行動についての是非を云々することは慎みますが、彼が第二次世界大戦を引き起こした原因は、一次大戦終結に際して、その開戦の責任一切を敗戦国であるドイツ一国に被せ、極端な圧迫をするあなた方の戦後処置に対する反動であることは看過すことのできない事実です。
あなたがたが善戦してヒトラーを倒したとしても、その後、どうやってスターリンを首領とするソビエトと協調するおつもりなのですか?
およそ世界が強者の独占するものであるならば、その闘争は永遠に繰り返され、いつまでたっても世界の人類に安寧幸福の日は来ることはありません。
あなた方は今、世界制覇の野望を一応は実現しようとしています。
あなた方はきっと、得意になっていることでしょう。
けれど、あなたの先輩であるウィルソン大統領は、そういった得意の絶頂の時に失脚したのです。
願わくば、私の言外の意を汲んでいただき、その轍を踏むことがないようにしていただきたいと願います。
市丸海軍少将
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【原文】
(「米国大統領への手紙」平川祐弘 新潮社より)
日本海軍、市丸海軍少将、書ヲ「フランクリン ルーズベルト」君ニ致ス。
我今、我ガ戦ヒヲ終ルニ当リ、一言貴下ニ告グル所アラントス。
日本ガ「ペルリー」提督ノ下田入港ヲ機トシ、広ク世界ト国交ヲ結ブニ至リシヨリ約百年、此ノ間、日本ハ国歩難ヲ極メ、自ラ慾セザルニ拘ラズ、日清、日露、第一次欧州大戦、満州事変、支那事変ヲ経テ、不幸貴国ト干戈ヲ交フルニ至レリ。
之ヲ以テ日本ヲ目スルニ、或ハ好戦国民ヲ以テシ、或ハ黄禍ヲ以テ讒誣シ、或ハ以テ軍閥ノ専断トナス。思ハザルノ甚キモノト言ハザルベカラズ。
貴下ハ真珠湾ノ不意打ヲ以テ、対日戦争唯一宣伝資料トナスト雖モ、日本ヲシテ其ノ自滅ヨリ免ルルタメ、此ノ挙ニ出ヅル外ナキ窮境ニ迄追ヒ詰メタル諸種ノ情勢ハ、貴下ノ最モヨク熟知シアル所ト思考ス。
畏クモ日本天皇ハ、皇祖皇宗建国ノ大詔ニ明ナル如ク、養正(正義)、重暉(明智)、積慶(仁慈)ヲ三綱トスル、八紘一宇ノ文字ニヨリ表現セラルル皇謨ニ基キ、地球上ノアラユル人類ハ其ノ分ニ従ヒ、其ノ郷土ニ於テ、ソノ生ヲ享有セシメ、以テ恒久的世界平和ノ確立ヲ唯一念願トセラルルニ外ナラズ。
之、曾テハ「四方の海 皆はらからと思ふ世に など波風の立ちさわぐらむ」ナル明治天皇ノ御製(日露戦争中御製)ハ、貴下ノ叔父「テオドル・ルーズベルト」閣下ノ感嘆ヲ惹キタル所ニシテ、貴下モ亦、熟知ノ事実ナルベシ。
我等日本人ハ各階級アリ。各種ノ職業ニ従事スト雖モ、畢竟其ノ職業ヲ通ジ、コノ皇謨、即チ天業ヲ翼賛セントスルニ外ナラズ。
我等軍人亦、干戈ヲ以テ、天業恢弘ヲ奉承スルニ外ナラズ。
我等今、物量ヲ恃メル貴下空軍ノ爆撃及艦砲射撃ノ下、外形的ニハ退嬰ノ己ムナキニ至レルモ、精神的ニハ弥豊富ニシテ、心地益明朗ヲ覚エ、歓喜ヲ禁ズル能ハザルモノアリ。
之、天業翼賛ノ信念ニ燃ユル日本臣民ノ共通ノ心理ナルモ、貴下及「チャーチル」君等ノ理解ニ苦ム所ナラン。 今茲ニ、卿等ノ精神的貧弱ヲ憐ミ、以下一言以テ少ク誨ユル所アラントス。
卿等ノナス所ヲ以テ見レバ、白人殊ニ「アングロ・サクソン」ヲ以テ世界ノ利益ヲ壟断セントシ、有色人種ヲ以テ、其ノ野望ノ前ニ奴隷化セントスルニ外ナラズ。
之ガ為、奸策ヲ以テ有色人種ヲ瞞着シ、所謂悪意ノ善政ヲ以テ、彼等ヲ喪心無力化セシメントス。
近世ニ至リ、日本ガ卿等ノ野望ニ抗シ、有色人種、殊ニ東洋民族ヲシテ、卿等ノ束縛ヨリ解放セント試ミルヤ、卿等ハ毫モ日本ノ真意ヲ理解セント努ムルコトナク、只管卿等ノ為ノ有害ナル存在トナシ、曾テノ友邦ヲ目スルニ仇敵野蛮人ヲ以テシ、公々然トシテ日本人種ノ絶滅ヲ呼号スルニ至ル。之、豈神意ニ叶フモノナランヤ。
大東亜戦争ニ依リ、所謂大東亜共栄圏ノ成ルヤ、所在各民族
、我ガ善政ヲ謳歌シ、卿等ガ今之ヲ破壊スルコトナクンバ、全世界ニ亘ル恒久的平和ノ招来、決シテ遠キニ非ズ。
卿等ハ既ニ充分ナル繁栄ニモ満足スルコトナク、数百年来ノ卿等ノ搾取ヨリ免レントスル是等憐ムベキ人類ノ希望ノ芽ヲ何ガ故ニ嫩葉ニ於テ摘ミ取ラントスルヤ。
只東洋ノ物ヲ東洋ニ帰スニ過ギザルニ非ズヤ。
卿等何スレゾ斯クノ如ク貪慾ニシテ且ツ狭量ナル。
大東亜共栄圏ノ存在ハ、毫モ卿等ノ存在ヲ脅威セズ。却ッテ、世界平和ノ一翼トシテ、世界人類ノ安寧幸福ヲ保障スルモノニシテ、日本天皇ノ真意全ク此ノ外ニ出ヅルナキヲ理解スルノ雅量アランコトヲ希望シテ止マザルモノナリ。
飜ッテ欧州ノ事情ヲ観察スルモ、又相互無理解ニ基ク人類闘争ノ如何ニ悲惨ナルカヲ痛嘆セザルヲ得ズ。
今「ヒットラー」総統ノ行動ノ是非ヲ云為スルヲ慎ムモ、彼ノ第二次欧州大戦開戦ノ原因ガ第一次大戦終結ニ際シ、ソノ開戦ノ責任ノ一切ヲ敗戦国独逸ニ帰シ、ソノ正当ナル存在ヲ極度ニ圧迫セントシタル卿等先輩ノ処置ニ対スル反撥ニ外ナラザリシヲ観過セザルヲ要ス。
卿等ノ善戦ニヨリ、克ク「ヒットラー」総統ヲ仆スヲ得ルトスルモ、如何ニシテ「スターリン」ヲ首領トスル「ソビエットロシヤ」ト協調セントスルヤ。
凡ソ世界ヲ以テ強者ノ独専トナサントセバ、永久ニ闘争ヲ繰リ返シ、遂ニ世界人類ニ安寧幸福ノ日ナカラン。
卿等今、世界制覇ノ野望一応将ニ成ラントス。卿等ノ得意思フベシ。然レドモ、君ガ先輩「ウイルソン」大統領ハ、其ノ得意ノ絶頂ニ於テ失脚セリ。
願クバ本職言外ノ意ヲ汲ンデ其ノ轍ヲ踏ム勿レ。
市丸海軍少将
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参考及び引用;
ねずさんのひとりごと
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1416.html
明智の通販ショップを収集、リアル店には無いレアな商品が見つかるかもしれません
通い切りました。。
さて。。
です。
↑この写真を撮った日はね、、、
明智で賢くお買物
お散歩ナビゲーター 小島信康です。
今回は9月23日(日)と24日(月)に開催した
東京お散歩教室「リバイバル 築地市場~銀座散歩」の様子を簡単にご紹介します。
出発は築地市場駅から。
まずは、浜離宮前踏切へ。
浜離宮前踏切は、中央区銀座8丁目にある、銀座に残る唯一の鉄道踏切信号機。
昭和6年(1931)から昭和62年(1987)まで、国鉄汐留駅(貨物駅)と
築地市場間を結ぶ貨物引込線の踏切として使われていたもので
ここには最盛時、1日150輌に達する貨物車が通過しましたが
貨物輸送の変化に伴い、汐留駅廃止と共に引込線は撤去。
しかし、銀座に残る珍しい鉄道踏切信号機だったことから
地元民の要望によって保存されました。
浜離宮前踏切の次は、中銀カプセルタワービルへ。
中銀カプセルタワービルは、中央区銀座8丁目にある
昭和47年(1972)竣工の世界初のカプセル型集合住宅。
黒川紀章初期の代表作で、技術的にはカプセルの交換が可能なつくりになっており
内装はベッド・エアコン・冷蔵庫・テレビ・収納などを完備。
「DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築」にも選ばれた
有名な建物ですが、取り壊しの可能性があるため、保存運動が行われています。
中銀カプセルタワービルの次は、旧新橋停車場へ。
旧新橋停車場は、港区東新橋1丁目にある
明治5年(1872)10月14日に開業した日本初の鉄道ターミナルである
新橋停車場と同じ位置に、できるだけ忠実な姿で再現された復元駅舎。
建物内には、東日本鉄道文化財団が運営する「旧新橋停車場 鉄道歴史展示室」があり
今回は、常設展示と「第47回企画展 没後20年 工業デザイナー 黒岩保美」を見学しました。
旧新橋停車場の次は、金春通り煉瓦遺構の碑へ。
金春通り煉瓦遺構の碑は、中央区銀座8丁目にある記念碑。
かつての銀座は、日本に2箇所しか建設されなかった煉瓦街の一つで
明治5年(1972)から10年(1877)にかけて、当時の国家予算の4%弱を費やし
延べ約10㎞にわたる煉瓦街が造られました。
この煉瓦は、銀座8丁目8番地の金春屋敷跡地で発掘されたもので
ゆかりの金春通りに、記念碑となって保存されています。
金春通り煉瓦遺構の碑の次は、金春小路へ。
今回のお散歩ツアーでは、名所巡りの他、銀座に幾つもある細かい路地をご案内。
中でも極め付けは、この金春小路。
人一人通るのがやっとの薄暗い路地で、皆さんに探検気分を味わっていただきました。
金春小路の他、幾つか路地を巡った後は、豊岩稲荷神社へ。
豊岩稲荷神社は、中央区銀座7丁目の路地にひっそりと佇む神社。
「銀座八丁神社めぐり」の一社で、御祭神は稲荷大神(宇気母智神)です。
明智光秀の家臣・安田作兵衛が、主家の再建を願って祀ったという伝説が残る
お稲荷さんですが、様々なメディアが縁結びの神様として紹介したことから
銀座の女性たちの間で、パワースポットとして注目を集めています。
豊岩稲荷神社をお参りした後は、路地を左折して、さらに奥に進み
『ブラタモリ』で紹介されて一躍話題となった「GINZA GREEN」内の店舗
「ル・カフェドトール 銀座中央通り店」を貫通している路地を抜けて、三輪神社へ。
三輪神社は、中央区銀座6丁目、ギンザコマツ西館屋上庭園内に鎮座する
「天空神社」と呼ばれている神社。
小松ストアーの社長・小坂敬氏が、大和国一宮・大神神社から勧請したのが始まりで
最初の社は平成4年(1992)に設置され、平成24年(2012)のギンザコマツオープン時に
新しくなった神社を公開。
天空神社には、大神神社が三輪山そのものを御神体としているのと同様に、社殿は無く
敷地北側に磐座が祀られ、その前に大神神社の三ツ鳥居を模した鳥居が立っています。
また、まわりには樹木が植えられており、都会の真ん中にいながら
心が清められるスポットになっています。
三輪神社をお参りした後は、ギンザコマツ西館と東館(ユニクロ銀座店)をつないでいる
渡り廊下から景色を眺め、1階に下り、路地歩きを再開。
24日は、中央区銀座5丁目、銀座のバーの草分け的存在として知られている
「銀座・ルパン」がある路地で記念写真。
皆さん、撮影ご協力有難うございました。
続いて、あづま稲荷大明神へ。
あづま稲荷大明神は、中央区銀座5丁目、三原小路に祀られている
倉稲魂命を御祭神として祀る「銀座八丁神社めぐり」の一社。
由緒は、戦後メインストリートとして発展した「あづま通り」と「三原小路」に火災が続発し
町内の人々が不思議に思い調査したところ、かつてこの一角に
お稲荷さんが祀られていたことが判明。
そこで、町内一同で京都伏見稲荷大明神講中をつくり、「あづま稲荷大明神」と命名して
伏見稲荷大社より勧請して、現在地に祀ったところ、以後、火事に遭わなくなり
火防・盗難除けの神様として、崇敬を集めるようになったとのことです。
三原小路を抜けた後は、そのすぐそばにある袋小路状の路地をチェック。
そして、銀座出世地蔵尊へ。
銀座出世地蔵尊(六角堂内)は、中央区銀座4丁目、銀座三越9階テラスに安置されている地蔵尊。
由来については、不明な点が多く、諸説ありますが
一説には、明治の初め頃、三十間堀川で見つかり、掘り出され
地元の鳶職人が銀座の空地に安置したところ、人々がお参りするようになり
やがて、開運・出世・延命・商売繁盛のご利益があると広まり、縁日が立つまでになりました。
そして、震災や戦災を乗り越えた後、昭和43年(1968)の銀座三越新築に際し、屋上に移設。
築地本願寺によって開眼法要が行われ、銀座八丁の守り本尊になったといわれています。
銀座出世地蔵尊の次は、朝日稲荷神社へ。
朝日稲荷神社は、中央区銀座3丁目にある
倉稲魂命を祀る神社で、「銀座八丁神社めぐり」の一社。
商売繁盛・家内安全の神様として信奉されています。
神社は、拝殿が大広朝日ビル1階にあり、本殿はビルの屋
に鎮座。
本殿と拝殿の間は、土を詰めたパイプで繋がれています。
朝日稲荷神社をお参りした後は、松屋銀座の地下入口脇にある
「銀座共同溝」の見学窓をチェック。
この中には、銀座通りのデパートや店舗に必要な
電気・電話・ガス・水道・下水道などの管路が収容されており
共同溝が完成したおかげで、「銀座通りが掘り返されることがなくなった」という説明が
解説パネルに書かれています。
銀座共同溝を見た後は、銀座木村家に行って、それぞれ気になった「あんぱん」を買い
銀座通りの歩行者天国で、おやつタイム。
おやつタイムの後、中央区銀座2丁目にある「銀座発祥の地」の記念碑をチェック。
この碑は、江戸時代、この地に銀貨幣の鋳造所である「銀座役所」が
あったことを伝えるもので、銀座通連合会が昭和30年(1955)に建立。
碑文には、幕府の機関だった「銀座」が、町名として受け継がれたと記されています。
銀座発祥の地の次は、ポーラ ミュージアム アネックスへ。
ポーラ ミュージアム アネックスは、中央区銀座1丁目、ポーラ銀座ビル3階にあるギャラリー。
ポーラ銀座ビルのコンセプトである3つの美(美容・美術・美食)のうちの「美術」を担う施設で
銀座で気軽にアートが体感できるようにと、無料で鑑賞できる企画展を開催。
今回は、「宮本佳美 消滅からの形成」を鑑賞しました。
ポーラ ミュージアム アネックスの次は奥野ビルへ。
奥野ビルは、中央区銀座1丁目にある
昭和7年(1932)に本館、昭和9年(1934)に新館が竣工した
地上7階(7階部分は後の増築)、地下1階の鉄筋コンクリート造の近代建築。
設計は同潤会の建築部長を務めた川元良一です。
このビルは、かつては「銀座アパートメント」と呼ばれた、界隈でも屈指の高級アパート。
現在、住居利用者はなく、事務所や画廊を中心としたテナントが数多く入っています。
銀座でも超有名なレトロビルということで、メンバーさんの何人かは
ギャラリー巡りのかたわら、戦前建築ならではの、開閉ドアが手動の
古いエレベーターを体験。
皆さん、思い思いに懐かしの空間を堪能されていました。
奥野ビルの次は、銀座からちょっと飛び出して、LIXILギャラリーへ。
LIXILギャラリーは、中央区京橋3丁目、LIXIL:GINZA2階にあるギャラリー。
住生活文化をめぐるLIXILの情報発信拠点として
平成25年(2013)9月にリニューアルオープンした施設で
今回は、「海を渡ったニッポンの家具 -豪華絢爛仰天手仕事-」や
「クリエイションの未来展 第16回 隈研吾監修 KUMA LAB: Weaving
東京大学建築学専攻隈研吾研究室の活動」などを見学・鑑賞しました。
LIXILギャラリーの次は、幸稲荷神社へ。
幸稲荷神社は、中央区銀座1丁目の路地に鎮座する神社。
こちらは、土地再開発のため、一時的に山王日枝神社の境内に
仮遷座していましたが、平成26年(2014)10月に旧地より若干移動して再建。
ライトアップされた新しいお社は、銀座らしく、洗練された感じがします。
23日は、幸稲荷神社がある路地で記念写真。
皆さん、撮影ご協力有難うございました。
幸稲荷神社の次は、宝童稲荷神社へ。
宝童稲荷神社は、中央区銀座4丁目の路地に鎮座する神社。
もとは徳川将軍家の跡継ぎの成長を守るために、江戸城内に祀られていた神社で
町名主の弥左衛門が神霊の分祀を願い出て許され
町内の氏神にしたのが起源といわれる子育ての神様。
平成28年(2016)には新しい参道が完成し、「猿結(えんむすび)参道」の愛称で
親しまれています。
こんなふうに、あちこちご案内して、最後は天賞堂のシンボル
天使象をチェックして、銀座駅でお散歩は終了。
そして、ご希望されたメンバーさんと、両日ともに「土間土間 銀座一丁目店」で
打ち上げをして、解散となりました。
ご参加くださいました皆様、長時間お付き合いいただき、誠に有難うございました。
それでは、次回もどうぞよろしくお願い致します。
東京お散歩教室
明智 関連ツイート
これを踏まえて今回の話観るとめちゃくちゃ面白い作りになってます。
明智がまーぺちゃくちゃと喋るシーンとかね。 #p5a