過激派を最安値でお届け。

閉じる
このページを見ている人が購入している商品

【100円クーポン配布中!】イスラム過激派に正義はあるのか オサマ・ビン・ラディンの霊言に挑む/大川隆法
イスラム過激派に正義はあるのか オサマ・ビン・ラディンの霊言に挑む (OR books) [ 大川隆法 ]
【中古】「イスラム過激派」をどう見るか / 宮田律
パンサー・スクワッド 女豹軍団★【中古】VHS★未DVD化!政府が掲げた人類の宇宙移住化計画。 だが、宇宙汚染に意義を唱えた過激派テロはパイロットを誘拐!シビル・ダニング姫率いる女豹軍団がバストX型のEROレザーを纏い、テロ組織を撲滅する近未来アクション!
【中古】 「イスラム過激派」をどう見るか /宮田律(著者) 【中古】afb
【中古】 東南アジアにおけるイスラム過激派事情 近代文芸社新書/橋広治(著者) 【中古】afb

楽天ウェブサービスセンター

民主主義は何故過激派を引き起こすか

1970年頃、世の中の自衛隊に対する風当たりが強く、過激派の学生によって朝霞の自衛隊員が殺されるという事件もあったそうです。(ぜんぜん知らなかった)
元自衛官の主人公が、そんな時勢にさらっと触れながら、あの頃を回想する話。

川原という、特攻隊の生き残り准尉が着任してきたときのこと。
不格好でみんなからバカにされていた川原。しかし彼の抱えているものを、土浦の駐屯地の不寝番中に、主人公は目撃してしまいます。
そのときの川原に対する、好感というのでも、軽蔑というのでもない思いは何だろう。
「異常なし」とつぶやく主人公の心の中に、言葉にならない祈りが聞こえるようなラストシーンに圧倒された。すげー。

637円
Amazon

過激派のある時 ない時

こんにちは。

今回は、多くのクリスチャンが誤解している点について、正しい理解をお伝えするため、また、クリスチャンではない方に対しても重要なお知らせをします。なぜ、クリスチャンではない方に対してもと言いますと、クリスチャンであるかを問わず、世界中の人間に適用される事柄だからです。よって、以下の事柄は、この記事を読んで事実に向き合う人、向き合わない人、この記事をそもそも目にも止めない人や巡り合わない人(検索をしないから)のすべての人に関係するものです。さて、みなさんは、聖書を読んだことがなくても、ヨハネの黙示録というものについては聞いたことがあるかもしれません。例えば、未来(将来)がどうなるのか気になる人は、色々検索していくうちに、一度位はその名前を見たり、聞いたりしたことがあるかもしれません。しかし、あなたが聖書の一部と分かったとき、「なんだ、キリスト教か。自分には関係ないね。」と思って気にも留めなかったことでしょう。ヨハネの黙示録に限らず、聖書には他にもいくつか預言書(ダニエル書、イザヤ書等)があります。言っておきますが、聖書で重要なのは、ヨハネの黙示録だけではありません。

預言というのは、予言ではありません。預言は、神から啓示を受けた人間がその言葉を代理で文書に残したり、語ったりするものです。残念ながら、終わりの時には、偽メシアや偽預言者が多くなり、奇跡を起こしたりして人々を惑わすので気を付けてください(マタイ24:24参照)。しかし、聖書の預言は神の言葉であり、これは必ず実現します。神に出来ないことは何もなく、聖書の預言は正しく、聖書にも記載内容は真実と書いており、イエスもわたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。」(ルカによる福音書24:44)と保証されました。また、歴史がそれを証明しています。信じられない方は、実際に聖書を読み、研究してみてください。そうすれば、分かります。たまに、自分が神から啓示を受けたとか(いい例がRAPT)、普通の人には出来ない超自然現象(魔術等)のようなことをして惑わせようとする人も多く出現して見かけることになると思いますが、彼らはすべて偽物なので、絶対に信じないで関わりを持たないでください。超自然現象はサタンでも起こせるからです。そして、予言というのは未来に起こることを確証がなく、その時その周りにある状況証拠のみで推測することです。例えば、天気予報みたいなものです。天気予報がよく外れるように、明らかに「予言」には確実性がないのが分かりますね。この両者を混同しないでください。巷の占い師等がすることはこの予言であって、預言ではありませんだから、外れるのです。ノストラダムス(医師、占星術師)だのマヤ暦がどうのとか、正確な聖書解釈に基づかない世間で噂になるものはすべてデタラメです。そして、彼ら(占い師等)はこう言い訳をします、「当たるも八卦当たらぬも八卦」と。ほとんどが当たらないのは正当な根拠もなく、いい加減なので外れるのが当たり前なのですが、当たるときもあります。そのときは悪霊の仕業です。その占い師が悪霊使いということです。占いというのは、未来に起こることが約束されたことを当てるのではなく、実際に悪霊の力で無理矢理実現させることです。だから、当たったように見え、その占い師を盲信して、心を奪われて、貢いだりするのです。したがって、クリスチャンが占いに関係しているのであれば、その人は真のクリスチャンではありません。表向きはそのように振舞っていても偽者です。なぜなら、以下、聖書にあるとおり、占いは神から禁じられたことですので、真のクリスチャンは、占いや呪術を行ったり、それを信じたりしません。

旧約聖書 申命記 18章10〜14節

あなたの間に、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占い師、卜者(ぼくしゃ)、易者、呪術師、呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。これらのことを行う者をすべて、主はいとわれる。これらのいとうべき行いのゆえに、あなたの神、主は彼らをあなたの前から追い払われるであろう。あなたは、あなたの神、主と共にあって全き者でなければならない。あなたが追い払おうとしているこれらの国々の民は、卜者や占い師に尋ねるが、あなたの神、主はあなたがそうすることをお許しにならない

少し前置きが長くなりましたが、本題に入ります。

聖書の預言書の一つである、ヨハネの黙示録について見ていきます。

ヨハネの黙示録といっても、いくつかの部分から成り、29ページの分量があるので、すべてのことについて書くことはできません。

したがって、ネット上でも、おそらく教会においても、多く誤解されている点と今後の展望についてのみ焦点を起き、述べます。

まず、多く誤解されている点についてです。

①その記載されている内容を文字通りに解釈する。

②携挙は艱難前、中期に起きる。

③獣の数字である666が、ローマ皇帝ネロ等、過去の歴史上大物の人物を指す。

④獣の刻印はマイクロチップである。

今回は、①と②のみについて記述します。③と④については、追って書きます。後編をお読みください。

①その記載されている内容を文字通りに解釈する、について

ヨハネの黙示録は、文字通りに解釈することが絶対にできない箇所が多くあります。聖書内の他の預言書も同様ですが、もし文字通りに解釈すれば、まったく意味のないものになり、何も理解できなくなります。聖書は、とても古い書物で、歴史上の権力者たちのことを直接書けば、それを権力者が発見したら、彼らにとって都合の悪いものとなり、確実に聖書が聖書として世に出ないことになります
そういう訳で、象徴的に書かれていることが多いです。これを見抜ける者には分かり、見抜けない多くの人にとっては無益記載事項とみなされて放っておかれ、現在まで私たちが読める機会が与えられたのです。後で記述する、獣の刻印というのものも含め、他も比喩です。そして、年数や人数についても文字通りではない箇所が多々あるです。列挙すると際限がないので割愛します。

②携挙は艱難前、艱難中に起きる、について

まず、携挙が何のことか分からない人のために書きます。携挙は聖書自体にその言葉がある訳ではなく、以下の様相を示した言葉です。携挙とは、神に従ったすべての聖徒の霊(殉教した人たち等)が、霊と体が結び合わされて最初の復活して主と会う。次に、地上で生きているすべての真のクリスチャンが引き上げられて空中で主と会い、不死の体を与えられ、体のよみがえりを経験することです。聖書でそのような記述が以下のとおりあります。

新約聖書 テサロニケの使徒への手紙一 4章15〜17節

主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。

上記箇所が携挙の根拠となるものです。

次に、艱難について書きます。

艱難は、辞書では困難に出あって苦しみ悩むことやそのさま、と定義され、聖書内に直接その言葉はありませんが、苦しみや苦難という言葉はあり、その意味のことを指して艱難と呼びます。苦難については以下のとおりです。

新約聖書 マタイによる福音書 24章21〜23節

大きな苦難を予告する

そのときには、世界の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである。神がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう。

たとえ、聖書を読んでいなくても、最近の異常気象(40度近い猛暑、季節外れの寒暖差)や地震(すべてが自然地震ではない)、ISISやイスラム過激派によるテロ行為(アメリカの自作自演)、政治家や公務員等による悪事や犯罪等を多く見るようになり、昔に比べればおかしくなったと実感する人が多いことでしょう。しかし、上記の聖書のとおり、今後は、今起きていることと比較にならないほどの大艱難が来るというのです。ところで、何故、神は艱難を我々に与えようとするのか考えたことがありますか。人間を愛しているという神が何故いじめるようなことをするのかと神を責めたりしていませんか。そうだとするならば、それはあなたが神を愛していないからです。神は私たちすべての人間を愛しておられ、一人でも多く救われて欲しいと願っておられます。神は私たちが乗り越えられないような試練はお与えになりません。あなたが、慈悲深い神があなたを助けないと言うならば、あなたは神を愛し、神の戒めを守って生きているか自問自答してください。できていないならば、助けを受けられないのは当然なのです。例えば、あなたが召使いを雇っているとして、その召使いがあなたが決めた掟を守らず、言うことも聞かないのであれば、解雇したくなるでしょう。それと同じようなものです。もっとも、救われるというのは、肉体的に救われるという意味ではありません。肉は永続的なものではありません。肉は、死後に腐敗して消え去るものです。ですから、肉体的にではなく、霊的に救われるという意味なのです。

神は、今いる地上の人間すべてに対して、選択を迫ろうとしているのです。それは、神につくのか、それともサタンが支配する人間たち(権力者たち)につくのか、の選択です。なぜなら、神は最終的には悪のいない世界を予定されているからです。ヨハネの黙示録を読まれるとお分かりになると思いますが、サタンの敗北、そして最後の裁きの後に来る世界のことです。そこまで残る人を選別するために、神は私たちすべての人間に選択を迫るのです。残る人は、神の戒めを守る信仰深い人(殉教できる位)でなければ到底無理です。神を否定する者や無神論者と他の神や偶像を崇める者、信仰が浅く脱落する者は、死後肉体的にも滅び、霊的にも滅びる運命です。

さて、ここで聖書を見ます。

新約聖書 ヨハネの黙示録 3章10節

あなたは忍耐についてのわたしの言葉を守った。それゆえ、地上に住む人々を試すため全世界に来ようとしている試練の時に、わたしもあなたを守ろう。

上記赤字箇所のとおり、全世界の人間に対して来る試練、それが艱難という訳です。

また、ここで守られるのは、勿論、イエスを信仰している者だけです。

しかし、この節の翻訳が原因で、説が分かれ、様々な憶測を生み出しています。

上記聖書の原文であるギリシア語では、以下のとおりです。

ὅτι ἐτήρησας τὸν λόγον τῆς ὑπομονῆς μου, κἀγώ σε τηρήσω ἐκ τῆς ὥρας τοῦ πειρασμοῦ τῆς μελλούσης ἔρχεσθαι ἐπὶ τῆς οἰκουμένης ὅλης, πειράσαι τοὺς κατοικοῦντας ἐπὶ τῆς γῆς.

因みに、英語では以下のとおりです。

Since you have kept my command to endure patiently, I will also keep you from the hour of trial that is going to come on the whole world to test the inhabitants of the earth.

上記箇所の特に、「試練の時に」の「時に」という箇所です。 ἐκ(エク)の箇所です。この言葉の本来の意味は、英語でいうout ofにあたります。勿論、out ofは、「時に」ではな
、「〜の中から」という意味です。正しくは、「試練から」となります。これが意味することは、クリスチャンも他の人々と同じように試練である艱難を過ごすことになるということです。その艱難において、クリスチャンはイエスに守られるのです。決して、事前に空中に避難させてくれるということではありません。また、上記の聖書の箇所で、「試練」というのは、日常的にあまり聞かないですかね。試練というのは、辞書では信仰・決心の固さや実力などを厳しく試すこと。またその時に受ける苦難、という意味です。この日本語訳は正しいですね。なぜなら、上述のとおり、神は人を2種類(神を信じる者とイエスを否定する者、無神論者、他の神や偶像を崇める者、信仰が浅く脱落する者)に分けるからです。

ここで問題となるのは、信仰が浅いクリスチャンの「隠れた実体」がはっきりとする日が来るということです。日頃から教会に通ったり、なんとなく聖書をかいつまんで読んだり、賛美歌を歌ったり、そういうことをしているにわか信者、そして、世の現状や聖書の核心を教えず、カトリックの影響で神の戒めである安息日を蔑ろにする日曜礼拝やイースター、クリスマス等の異教の祭を催すプロテスタントの牧師もにわか信者たちです。彼らは苦難に直面したとき、信仰が浅いのでその苦難への忍耐がないからです。また、多くの人は、カトリックがイエスを信仰していると思っていると思いますが、それは嘘です。そう断定する理由は、カトリックが偽キリスト教であり、反キリストの集団であることが明白だからです。詳細は、私のを読んでください。

携挙のようにいくつかの説に分かれて争点になるところは、翻訳が不正確なために起こるもので、原文にあたるのが一番良い解決方法です。この艱難期前携挙説(秘密携挙説)は、実は、映画や小説に登場しているのです。Left behind(レフト ビハインド)とThe Remaining(リメイニング)が有名ですね。これらは2014年にアメリカで映画公開されました。私は、これらを実際に見て確かめましたが、どちらも災いが起こる前にクリスチャンが携挙されて災いから逃れる(艱難期前携挙説)状況を描写していました。これらは嘘だということです。そもそも、映画業界はすべてイルミナティの支配下にあるので、正確な聖書解釈はできないし、正しい情報は流さないに決まっています。何も知らない人は簡単に騙されるので、これを知った読者のあなたは、今後、映画や小説にも騙されないように気を付けてください

また、以下の箇所が決定的です。

新約聖書 テサロニケの使徒への手紙一 5章1〜4節

兄弟たち、その時と時期については書き記す必要はありません。盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。人々が「無事だ。安全だ」と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそれから逃れられません。しかし、兄弟たち、あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。ですから、主の日が、盗人のように突然あなたがたを襲うことはないのです。

新約聖書 テサロニケの使徒への手紙二 1章8〜9節

主イエスは、燃え盛る火の中を来られます。そして神を認めない者や、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者に、罰をお与えになります。彼らは、主の面前から退けられ、その栄光に輝く力から引き離されて、永遠の破滅という刑罰を受けるでしょう。

イエスは天から降って火の中を来られるとあり、周囲が静かであるような描写ではありません。ですから、決して秘密に来ないのです。イエスが来られたときには、来られたことが分かるのです。また、「盗人が夜にやって来るように」をその文字通りに解釈して、こっそり来ると解釈する人がいるようです。これはそういう意味ではなく、「思いがけない時に、不意に」という意味です。泥棒や強盗が事前に来ることを察知できないということです。それは真のクリスチャンは聖書を読んで理解しているので、いつ来ても驚かず、突然襲われたと感じないが、信じていない人にはとっては不意に来るようなものであるということを聖書は言っています。したがって、多くの人が主張する、艱難期前携挙説(秘密携挙説)は誤りということが明白です。そういう主張をする人は聖書を理解できていない証拠です。聖書は上記をはじめ、至るところで、その時がいつ来てもいいように常に準備を怠らないように書かれています。つまり、抜き打ち試験のようなものです。神は、人の性質をよくご存知です。入試や資格試験のような大きな試験は除きますが、過去私もそうでしたが、みなさんも、学校に通っていた頃、若しくは通っている現役学生は、普段は部活に熱心になったり、遊んだりすることに注力して、中間・期末試験前になって慌てて準備をしますね。そして、試験が終わったら、また以前の生活に戻るということを繰り返した経験がありますよね。このように、人間は限りなく楽をしたい方向に行く傾向があるので、期限を設定するとそれに向けてギリギリに準備を始めるのです。

これをこの艱難からの救いにあてはめるとどうでしょうか。当然、みなさんは、今までにない苦難なんて経験したくないでしょう。しかし、いつ起こるか分からないことのために準備するより、今を楽しみたいという気持ちが勝っているのではないでしょうか。

その時が来る直前に準備をするような狡猾な人が、後の悪のいない世界にふさわしい人でしょうか。有り得ません。今を楽しみたい、死ぬまでの地上での生活がすべてだ、今の生活を改めることができないというのはサタンの誘惑に負けている状態です。この誘惑を断てない人は、その他大勢の一員になるこ
がほぼ確定なのは明らかでしょう。キリストの再臨時、人の運命が永遠に分かれるのです。イエスが来られた時には、それより前に救われるか否かの審判は既に下されているのであり、下した審判を元に救われるべき人を迎えに再臨されるのです。この点を勘違いしないでください。また、上記の艱難期前携挙説(秘密携挙説)や映画等が言っているように、神を否定する者、神を信じない者、神に従わない者たちが、何故生き残るかのように宣伝しているのでしょうか。聖書は、以下のとおり、彼らが生き残るように言っていません。

新約聖書 ルカによる福音書 17章37節

そこで弟子たちが、「主よ、それはどこで起こるのですか。」と言った。イエスは言われた。「死体のある所には、はげ鷹も集まるものだ。」

弟子たちは、義人(真のクリスチャン)は天に昇ることを知っていましたが、天に昇ることができない悪人(真のクリスチャンではない人全員)はどうなるのかについての質問をイエスにしました。すると、イエスが、悪人たちの死体は、埋葬されることもなく地上ではげ鷹の餌になると答えられました。その様子は、さらに、ヨハネの黙示録19章21節にも書かれています。

新約聖書 ヨハネの黙示録 19章21節

残りの者どもは、馬に乗っている方の口から出ている剣で殺され、すべての鳥は、彼らの肉を飽きるほど食べた。

以上より、真のクリスチャンではない大多数の人々の末路が明らかですね。聖書を誤読する人々は、キリスト再臨後、少なくとも7年間は悪人たちに悔い改める機会が与えられるという考えることがありますが、聖書のどこにも根拠がありません。このような考えは、今は世俗的に暮らして、少しは苦難を経験するけれども、7年の大艱難の時にもう一度機会があるから、その時に悔い改めて天国に行こうと考えているのでしょう。秘密携挙を信じている人は、最後の大艱難が始まる前に携挙されると考えているので、大艱難を免れると主張します。しかし、上述のとおり、聖書に反しています。二度目の機会はありません。今すぐ悔い改めなければ間に合いません。キリスト再臨の前に悔い改め終えて準備が整っていないと、救われないのです。

なお、艱難期中携挙説についても、既に上述のとおり、明らかに誤りです。

ところで、次の聖書の箇所を読んでください。

新約聖書 テサロニケの使徒への手紙二 2章2〜4節

主の日は既に来てしまったかのように言う者がいても、すぐに動揺して分別を無くしたり、慌てふためいたりしないでほしい。だれがどのような手段を用いても、だまされてはいけません。なぜなら、まず、神に対する反逆が起こり、不法の者、つまり、滅びの子が出現しなければならないからです。この者は、すべて神と呼ばれたりするものに反抗して、傲慢にふるまい、ついには、神殿に座り込み、自分こそは神であると宣言するのです。

キリストの再臨(主の日)前に、まず最初に、神に対する反逆(背教)が起こるとあります。これは、キリスト教徒内から起こるのです。反逆というのは、イエスを信じていたが、裏切って反対側につく、即ち、反キリストになるということです。信じていない人は反逆することにはならないからです(最初から反キリスト)。その後、不法の者、滅びの子が出現(台頭)します。これはローマ教皇を指します。ローマ教皇については、聖書では、上記に限らず、ダニエル書にも、ヨハネの黙示録にも登場します。勿論、直接的には書かれていません。もし直接的に書かれれば、間違いなく聖書はとっくに隠滅されて今日まで残っていないでしょう。あと、「神殿に座り込み」という部分ですが、これは「権威を獲得する」ということを指します。現に、過去の世界史上、ご存知のとおり、ローマ教皇は政治と結びつき、皇帝を上回る権力を振るいました。カノッサの屈辱が有名ですね。ローマ教皇は、1798年にナポレンに攻められ、教皇ピウス6世が収監されて教皇の権威が失墜して死んだかのように思われましたが、1929年イタリアのムッソリーニが教皇を復活させ、イタリア国内にバチカン市国を認めたのでした。そして、現在に至るまで勢力を蓄え、まさにこの時代に、ローマ教皇を中心として、ローマ教皇が操るアメリカ主導で新世界秩序(New World Order)を作ろうとしています。2015年9月24日にローマ教皇がアメリカを訪問して、驚くべきことに、政治の中心であるアメリカ議会内で演説をしたのです。過去の歴史から学んで作られた政教分離の原則はどこに行ったのでしょうか。過去にもローマ教皇がアメリカを訪問したことはありますが、議会内に入って演説までするのは初でした。参考までに(Bloomburg)。そのときの演説内容は。(USCCB)日本語はないので分からないならば、翻訳してもらえれば大体は分かると思います。

そのローマ教皇の演説内容で問題なのは、以下の7つの点です。

①「私たちの世界が暴力的衝突、憎しみや残虐行為が神や宗教の名でさえで行われる。」

→あなたがたが最近よく目にするISISだけではありません。過去の歴史では、ローマ皇帝や教皇を頂点としたローマカトリックが数え切れない程多くのクリスチャンを迫害して残虐な刑で殺害してきたことを忘れてはいけません

②「宗教だけに限らず、すべての種類の原理主義に注意しなければならない。」

これはカトリックの真のクリスチャンに向けた迫害予告と取れます。聖書だけを神の御言葉を拠り所とし、キリストの再臨を望む人は彼らの言う原理主義者に当たります。原理主義はカトリックのように聖書を捻じ曲げて解釈したり、モーセの十戒を変更したり、異教の文化や考えを取り込むということをせず、聖書とイエスの教えに忠実に従うことであり、何ら異端ではありません。当たり前ですが、カトリックの方が異端なのです。

③「現代社会は世の中のすべての事柄を二極化させ、対立させている。」

→経済面の富裕層と貧乏層の格差を言っているようで実際は違います。キリストと反キリストの対立を暗示しています。勿論、ローマ教皇は反キリストの先頭を行く人物です。今後、世界はイエスに従うキリストの者になるのか、ローマ教皇につく反キリストになるのかということです。

④「共通の利益のために、新たにした兄弟愛、社会的連帯と寛大的協力で一つになって、一緒に前進していかなければならない。」

→人間がお互いに連帯し、政治、経済、宗教も連合させる、新世界秩序のことです。宗教面では、カトリックは上述のように異教文化(クリスマスやイースター等)を取り込んで、自分たちの信者を獲得し、勢力拡大を目指してきました。今後は世界で2番目に多いイスラム教徒も取り込んでいくことでしょう。そのためにはカトリック教義は再編されるかもしれません。このようにコロコロと人々を取り込むために教義や信念を変えるのが信用に値するでしょうか。勿論、否です。聖書とイエス以外、拠り所とするものはありません。

⑤「そのような協力体制(④の内容)は、新しい政策と新しい形の社会的同意によってのみ打ち勝つことができる重大な不公正から生まれた、新しい地球規模の奴隷形態を排除する戦いにおいて、強力な源になる。」

→新しい政策や社会的同意とは、まさしく新世界秩序です。奴隷形態の排除とはよく言えたものです。ローマ教皇をはじめとする権力者の支配層が他の人々を奴隷以下の家畜扱いしようというのに。

⑥「すべての資源の分配が必要です。」

→人々の収入や財産を巻き上げて再分配する社会主義のようなシステムです。聖書(ヨハネの黙示録)では、獣の刻印を受けなければ売買ができないとあり、完全に人々を支配層の管理下に置く家畜化計画ということです。

⑦「私はアメリカとアメリカ議会の役割が重要な役割を担うと固く信じている。今こそ勇敢な行動と戦略を実行する時である。」

→ローマ教皇がアメリカ議会に圧力をかけていることが明白ですね。なぜ他国の立法機関でこのような発言ができるのでしょうか。ローマ教皇が新世界秩序を作るために、アメリカから新世界秩序にふさわしい法律を作るように要請しているのです。彼はアメリカが世界で一番強力な国だと知っているからです。アメリカが従えば、他国も続くという算段です。

非常に長くなったので今回はここで終了とします。

ローマ教皇については、引き続き、述べていきます。

後編に続きます。


過激派 関連ツイート

踏みつけていけって過激派ばかりでおじさん怖いよ
RT @loadbalan: @mago221 @shimodoro222 つまり実況もあげてるしお笑いもアレしてたしんちゃん最強って事でいいね?(尊師最強過激派
RT @ruler_libera2: >ヤン・ウェンリー過激派のユリアン、フレデリカ、シェーンコップに囲まれて悟り顔を見せるヤンが見たいです https://t.co/Fa4Or5uawa #odaibako_ruler_libera2 こ、こんな感じですかね・・・ https…

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする