片手にピストル、心に短パン

 

 

おはようございます

　物忘れが多くなったというが、ヨネ子さんは、初めて松前に来た日のことは今も鮮明に覚えているそうだ。石川県の輪島から鈍行列車で三日かかった。

　「金沢で一泊して、次は青函連絡船の中で寝て、ここまで遠かったよ。帰るときは船が迎えに来て、あちこちの海眺めながら、ああ、潜ってみてえなあ、とか思いながら帰ったから早く感じたけど、来るときは大変だったな」

 

　松前小島で、一つ年上の石山誠一さんと親しくなったのは、２５歳のときだった。

　「男ぶりに惚れちまって」

　と、ヨネ子さんがニヤリとした。

　後年撮影された夫婦舟に乗る二人の写真を見せてくれた。確かに眉目秀麗な男性だ。　

　「結婚した後、輪島が朝市の観光とかで急に有名になって、ああ、輪島にいたらよかったかな、失敗したかな、とも思ったけど、しょうがないでしょ、子どももできちまって」

　

　そもそも異郷からやって来た海女たちに、松前の漁師は皆、強い憧れを抱いたようだ。

　無理もない。

　水中を自在に泳ぐ姿に目を奪われ、半袖と短パンの濡れた肢体には艶かしさを感じたことだろう。耳にしたことのなかった磯笛の音色に心惹かれた者もいたはずだ。

　しかも、自分たちでは到底とれない大量の昆布を採ってくるのだ――。

　《俺も海女を娶りたい》　

　男たちの視線や思惑を感じながら、海女たちは松前小島での夏を過ごしたのだ。

 

　松前小島に潜る「最北の海女」は、４人いた。

　

　年長の、舟木マルさん。ヨネ子さんの記憶では、１５歳ほど年上だったという。

　１９６０年のフィルム映像に、マルさんの姿が記録されている。名前と同じマル顔に、がっしりとした肩。「姐御（あねご）」の風格と貫禄がある。

　ヨネ子さんのドキュメンタリー番組をＢＳで放送したのだが、放送後、神奈川県に住む長女から手紙が届いた。「母の姿に驚き、感動した」と書かれていた。

　その映像が撮影された数年後に亡くなっている。

　

　磯野ミツエさん。ヨネ子さんより３歳上で、誠一さんの兄と結婚した。つまり、ヨネ子さんの義姉にあたる。

　かつては夫と一緒に通年、松前小島に滞在し、違法操業や密漁から島を守る漁協の監視員をしていた。夫は「小島の村長」とも呼ばれ、ミツエさんも娘も、よく新聞やテレビの取材を受けていた。しかし、真昆布を採っている時に、喉の奥が苦しくなって血を吐く。その後は水深の浅いところで細目昆布を採るようになったが、今度は膝を悪くし、漁を休みがちになった。

　そして……。

　「けっこう前にボケちゃってな。それから私もあんまり会いに行けなくなった。明日はわが身でしょ、何か身につまされるもの」

　娘によれば、松前小島にいたころの話ばかりしているという。

　

　祐川八重子さんは、４歳年上だ。２００３年の新聞には「二人の海女」として、ウェットスーツを着たヨネ子さんと八重子さんの写真が掲載されている。並んで水中から笑顔をのぞかせている。　しかし……。

　「頭はしっかりしてるみたいだけど、車椅子だ。いつだったか、デイケアの車に乗ってるの、道端から見たな」

 

　こうして「最北の海女」は、ヨネ子さん一人になった。

 

|ωΟ｡)ちらっ