過激派が僕を苦しめる
せっかくだから過激派について語るぜ!
今日は梅雨らしいお天気ですね。
例の花泥棒さんはまたやりました。カメラのないところで。
またいつものように取り去らずに隣においてあります。
レンガの上の白い物体がクチナシの花です。
今まで咲かなかったコクチナシの花が今年はよくお世話をしたかいあってか植えて以来始めて咲いていました。
防犯カメラ設置してからカメラの範囲外のここはもしかしたらやられるかもしれないと思ってたらやっぱりでした。
”こんなことで私はやめないからね”っていう意思表示かもしれません。
クチナシさんにはかわいそうなことしたけど私はもうこのくらいはいいかなと思います。
そもそも自分に起こっていることは私自身のことを知らせるサイン、ということでいうと、これは私がもう彼女とは生きているステージが違うよってこともっと自覚せよ、と神様から言われているのかなと思いました。
決して私が上だといってるわけじゃありません。
人に上も下もないと心から思っています。
それに彼女は彼女なりに自分が正義だと信じてやっているのでしょう。
やっていることはどう見ても悪いことだけど、彼女は団塊の世代なのでゲリラ戦のつもりかもしれません。昔の過激派の面影を感じます。
ステージの違いは
花が咲く木と咲かない木の違い
花が咲かない木を持っている人が咲く木を持っている人が憎らしくて花をもいだって、自分の木に花が咲きだすわけもなく。
花を咲かせたかったらその木に花を咲かせるようなケアをしてあげなければいけない。
その事に気が付かずに花をもぎ続けているその人は哀れだけど、それはその人自身の課題で私には関係ありません。
私は自分がいよいよ花を咲かせられる木を持っている人になっているということをもっと自覚しようと思いました。
長い長い下積み人生がここまであったのですから、その過去の自分に報いるためにも、ちゃんと花を咲かせようと思います。