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2時間で覚える正月絶対攻略マニュアル

2009年12月、私の人生を変える出来事があった。

ひとつは乳癌発覚。もうひとつはドクハラ。

そして「誤診」だ。

以前「ドクターハラスメント」というタイトルでブログアップ↓(リブログします)したが、その続き。
最初のA医師のあまりに酷い態度にえーんこいつからだけは絶対手術を受けない❗️ムキーと決め、新たに医者を探すことに。

年末だし、時間が経つと不安な私は必死に新しい医者を探した。ステージ0なのに、全摘になるかもと聞かされ、再建手術がまだ保険適応でなかった2009年(再建するなら200万円以上かかると言われた)、独身だった私は、ステージ0の非浸潤がんなら、なんとかして胸を取らなくて済む方法は無いものかと、新しい医者を探した。

そこに登場した乳がん専門クリニックのB医師。ラジオ波手術をしているクリニックだった。セカンドオピニオンで、B医師を訪ねると「あなたは、ステージ0の非浸潤がん。転移の可能性はゼロ。ラジオ波手術も適応内。年内手術も可能」と言われた。

正直、他にもセカンドオピニオンは申し込んでいたが、有名どころは、どこも年内は予約で一杯で、年内に診てもらえるのは、そこだけだった。凍結法をやっているC病院にも行きたかったけど、長くほっておいて、年を越す不安のほうが優ってしまった。

すぐに手術もしてくれる、、、胸を失わなくていい、そしてステージ0なら、今、手術すれば転移する可能性はないのだ。

ただ、念のために、センチネルリンパ生検だけはして欲しかったから、B医師にそれを伝えたら….

「君の場合、非浸潤がんで、転移の可能性ゼロなんだから、する必要ない」

と、断られた。

あの時、ヤツがどう言おうが、なんとしてもやって欲しい、と言い張れば良かった…。

そして、ラジオ波手術当日。手術は全身麻酔。麻酔が覚めて、朦朧とした私にヤツは………

「なんか、まだちょっと怪しいとこがあるけど、たぶん大丈夫。局所再発したら、また手術すれば良いから」

朦朧としながら、「え?」って思ったのだけ覚えている。

それから、定期的に検診で、エコー、マンモ、一年に一度のMRIの度に、

「ちょっと怪しいから心配したけど、全く拡がったりしてないし、大丈夫だね」

といい続けたB医師。

3年後、仕事で物凄いストレスにさらされた数ヶ月後の定期検診。この時も年末であった。

乳がん発覚の年も、物凄いストレスにさらされた年だった。ガンとストレスは、確実に関係があると思う。免疫が極端に下がっていたのは明らかだ。

心配で念入りに診て欲しいと伝えたら、、、

「エコーの結果、脇に怪しい影があるけど、はっきり分からない」

それでは納得いかない私は、ちゃんと精密検査して欲しいと言ったら、MRIをすることになった。

結果を見たB医師

「MRI見ても、はっきり分からないねー。たぶん大丈夫だから、しばらく様子をみようか」

でも、その数日前に、お風呂で脇を触ったら、はっきりシコリを見つけていたので、納得いかない私は、更に詳しく調べて欲しいと食い下がった。

「じゃぁ、そのシコリを取って、検査に出すしかない」

とヤツが言うので、即手術をしてもらうことになった。

結果は、、、

ナントびっくり乳がんのリンパへの転移えーんガーン

はぁぁぁぁぁ?ムキームキームキームキームキームキー

そう。非浸潤がんでステージ0と言う、3年前の最初の診断自体が間違っていたのだ。  

「誤診」

すぐに、放射線治療を始め、年末から2月頭まで、正月2日から、休み返上で、1ヶ月半、毎日毎日、放射線治療に通った。50グレイ、25回。

ホルモン陽性だったから、タモキシフェン投薬も始まった。

しかし、不安な私は、放射線の医者に、この治療でほんとに大丈夫か、何気なく聞いた。

「まぁ、この状況なら、抗ガン剤をする医師も、たくさんいるとは思いますけど、ね」

今、考えたら、この時に医者を変えてしまえば良かった。

でも、実は、母も乳がん闘病中で、結果、私が放射線治療終わった、同じ年の夏、母は入院後6日で、急逝することになる。それまでの半年、母の容態が悪くなり、私は、家のこと、母の看護、母の病院通い、急に亡くなったので、通夜や葬式、母の友人や親戚への対応、事務手続き、片付け、四十九日に一周忌、、、そして、何より、仲良しで、大好きで尊敬していた、私の一番の理解者である母を失った喪失感。ヘトヘトとバタバタで、本当に大変な日々が続き、新しい医者を探している余裕なんてどこにもなかった。

その間、B医師のところで定期検診はしていたが、B医師は

「放射線治療もしたし、ホルモン剤も飲んでるから、もう大丈夫」

といい続けた。

そして、母の、三回忌を終えた頃、脇のリンパ手術して3年後、、、。

またも、仕事で、物凄いストレスにさらされた直後、急に背中が痛くなり、股
節が痛みだしピッコになり、、、。

検査の結果、骨に、乳がんが転移していることが分かった。

はぁぁぁぁぁ?ムキームキームキームキームキームキームキームキーえーんえーんえーんえーんえーんえーんえーんえーんえーんえーんえーん

B医師は、自分の最初の診断を謝ることもせず、ただ一言

「転移だね」

もう、こんな医者には任せられない。

大泣きながらえーんえーんえーんえーん新しい医者探し。

乳がん仲間に連絡して、探すのを手伝ってもらい、今の大学病院のC医師にたどり着いた。

優しい笑顔のC先生は、泣きながらえーん診察室に入った私の状況を真摯な態度で聞き、転院を快く受け入れてくれ、すぐに、必要な検査の手配をして、その日にできる検査は、当日してくれた。

脚なので、同大学病院の整形外科医にも紹介してくれ、年明けてすぐ診察とその他もろもろの検査になった。

股関節の病変は、場所が場所だけに、体重を半分支えているので、下手をしたら、折れてがん細胞が周りに飛び散る可能性があるから、と、即手術ということなり、すぐ入院と手術の手続きとなった。

股関節だけでなく大腿骨にまで及ぶ大手術で、3ヶ月の入院を余儀なくされ、そこからリハビリの日々。

その後はホルモン剤治療していたが、一年経って、体調が悪くなり、腫瘍マーカーが急に上がり、抗ガン剤治療することになり、今に至った。

でも、ECが身体に合わず、酷い副作用で、3日後に緊急入院。ひと月入院して、吐き気、下痢、輸血、点滴、の毎日。フラフラで、真っ青な顔して、眠れない日々が続いた。

今もステージ4で、リハビリを続け、貧血にビクビクしながら、輸血と抗ガン剤を続けている。

なぜ、私はこんな辛い思いをしなければならなかったのか。

ドクハラのA医師、誤診のB医師。

ヤツらに出会わなければ、私はきっと、早期発見で標準治療で手術。胸は無くなっていたかもしれないが、結果、2014年からは胸の再建手術は
険適用になったので、胸を再建して、今頃、完治していただろう。

母が乳がんだったから、若いうちから、毎年毎年、検診を受けていた。そして、ステージ0の非浸潤ガンのはずだった。

前も話したが、A医師が、患者ときちんと向き合って、きちんと説明してくれていたら、私は、ラジオ波手術なんて受けなかった。

そして、非浸潤ガンと言われなければ、やはり、ラジオ波なんて選ばなかったと思う。

B医師が、いい加減な楽観主義で、センチネルリンパ生検を省かなければ、そして、怪しいところを取り残さなければ、転移などしていなかったかもしれない。

リンパのシコリが転移と分かった時点で、B医師が抗ガン剤治療をしてくれていたら、遠隔転移を避けられたかもしれない。

小林麻央さんが、最初に標準治療を選ばなかったことを責めるような書き込みをよく目にしたが、とんでもない話だ。自分がその立場にたったことが無い人には絶対分からない。

患者がより良い治療を探すのは当たり前だし、出来たら、胸を取りたく無いのも、髪が抜けたくないのも、抗ガン剤も怖い、これが患者の本音だ。

女性にとって胸が無くなるという恐怖、髪を失う悲しみ、ホルモン剤や抗ガン剤で子供が出来なくなる可能性に対する絶望感、、、

医者はそれを理解した上で、それでも全摘手術の必要があるなら、抗ガン剤の必要があるなら、将来に危険があるなら、患者の命を守るために、きちんと説明すべきだったのだ。

麻央さんの判断を責めるなんてとんでもない。きちんとした診断をしなかった、そして、標準治療をしない危険性をきちんと説明しなかった、麻央さん家族を説得できなかった担当医師の責任だ。だって医者はプロ、患者は素人なのだから。

でも、誰も時間は戻せない。

今更、あの時こうしていれば、、、と考えても無意味だと言うことは、私も頭では分かっている。

それでも、考えずにはいられない。人間だもの、感情がある。

こんな罰を受けなきゃならないような悪いこと、私はしてない。どうして私だけ、、、えーん

なんで、私だけ運悪く、あんな医者にしか出会えなかったのか、、、。

気持ちが落ち込むと、つい考える。どうして、、、なんで、、、えーんショボーンえーんショボーン

でも、やっぱり今更考えても仕方ないのだ。

病気になったのは、私のせいではない。誰のせいでもない。

こうなったら、前向いて治療するしかないのだ。

ただ、ああいう医者の犠牲者になる患者を、ひとりでも減らせるように、微力ながら、私はブログで、みなさんに事実を知らせようと思った。

まず「命」を選んで欲しいこと。

私だって、今の自分の状況を知っていたら、胸や髪を失うことや、抗ガン剤の辛さだって、全て、最初から受け入れていただろう。

それに、医者の診断が正しいとは限らないこと。

医者が信じられなかったら、遠慮せず、きちんと向き合ってくれる、患者の命を一番に考えて、時には叱ってくれるくらいの医師を、見つかるまで探すこと、だ。

そして、焦らないこと。私も年末でなかったら、もう少し、気持ちに余裕を持って、次の医者を探しただろう。

乳がんと診断された、全ての人が、最適で、安全な治療が受けられて、ドクハラや誤診が、この世から無くなること、それが私の望みです。

医者には、人の命を預かっているという自覚を持って欲しい。

そして、乳がん完治できる安全な治療法が一日も早く確立して、私たちがその治療を保険で受けられますように。

長くなりました。

みなさんのこれからが、おだやかで健やかでありますように。




正月 さすがだね、を世界中で。

おはようございます。

前日の投稿のコメントにお返事を書く前に、
連続投稿、失礼します!
昨日の旦那のお話をどうしてもしたくて。笑
某アイドルグループの1人が起こした
「強制わいせつ」の報道が連日されてますね。
「未成年に対して、無理やりキスをした」
という事件。(敢えて、事件と言いますね。)
昨日も、その報道が朝早くからなされていて、
旦那と2人で観ていたんです。
旦 「あー。この事件ね。Yくん、やっちゃったよねー」
(↑おいおい。あんたもおんなじ事したじゃん!と、心の中でツッコむ。)
私 「残念だけど、この1回の過ちで、
今まで積み上げてきたことが水の泡だよね~」
(↑嫌みのようにチクチク話してみました。笑)
旦 「そうそう!バカだよな~
酒飲みすぎて、嫌がる女にキスするなんてさー」

「ま、自業自得だろうね。」
は?
どの口が言う??




あんたも、
全くおんなじ事したじゃーん!
(↑10年以上前、
旦那は、会社のバイトの女の子に
酔った勢いでキスをし、
その後、相手の彼氏に会社に乗り込まれ、
大騒動となり、会社を辞めたという過去があります。)




もしかして、
忘れた?



「記憶にございません。」
って言う政治家か??





セクハラ、パワハラ、モラハラ+浮気
主要なハラスメントを完全制覇しておいて!





よく言うわ~






曲がりなりにも、
泣きながら、
反省の弁を述べたYくんの方が
よっぽどマシだわ!!





悶々としている私を余所に。
旦那は、意気揚々と鼻の穴を膨らませながら。
旦 「やっぱ。酒はいかんよなー」
「酒飲んで、人生棒に振ったら、最悪だよな!」
はい。
あんたは、何回、人生棒に振ったんでしょうね?





今年の正月にも、
あんたは、お酒の失態をしてますよ!!
↑参照 1月3日~4日の投稿をご覧下さい。




やっぱり、宇宙人でした。



旦那の脳は、
きっと、
ネズミより小さいでしょうね🐭




朝から、

くだらない話をすみませんでした!


正月 関連ツイート

1周年ボイスぼっさんの聞いたあとにちゅやの聞いてにやにやしたこの心情を大切にして正月ボイスぶりに都合の良い遊び方でにやにやしたぞ
小学生は暗くなる前に帰りなさい
中学生は暗くなったら帰りなさい
高校生は日付が変わる前に帰りなさい
大学生は盆と正月くらいは帰りなさい
大学院生は帰れる家があることに感謝しなさい
社会人になったら、子どもが安心して帰ってこれるような家を、今度は自分がつくれるようにしなさい
@akisakura_kk 今年の正月福袋にはいたけど前の福袋には限定いなかったからわからないなぁ

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