明智大量在庫ショップ
さて藤木との戦いに向けて備前長船の刀を手に入れた伊良子。
ぶははっいくも大変だなぁ…
さてここで高熱に倒れる藤木。
江戸時代の医学なんてそんなもんでしょうな。ある程度の外科的治療はできたのかもしれませんが、抗生物質が無いというのが致命的ですよね…
そこに突然お見舞いに現れたのは伊良子。
狒々の霜、つまりお猿さんの頭の黒焼きです。こんなもんお見舞いに持ってこられたら嫌がらせ以外のなにものでもありませんがね(笑)
そして幼少期を思い出す藤木。
スイカの皮はさすがに厳しいですね。リンゴや梨なら皮ごといけますが、スイカやメロン、みかんにキウイあたりは皮付きではちょっと手が出せないか…
そんなこんなで回復した藤木。
ハッピーエンドへ向けて一直線という感じにも受け取れるんですけどねぇ…
さてここでこんな人物も登場。
伊達政宗!
政宗は1636年に没するまで家康、秀忠、家光の3将軍に仕えてます。他の有名所の戦国武将と比べて政宗はやはり若いですからね…
ちなみに当時の戦国大名、織田信長が35歳時の年齢表というのがありました。
毛利元就・・・・・72歳
武田信玄・・・・・48歳
明智光秀・・・・・41歳
上杉謙信・・・・・39歳
織田信長・・・・・35歳
豊臣秀吉・・・・・33歳
長宗我部元親・・・31歳
徳川家康・・・・・27歳
石田三成・・・・・・9歳
真田幸村・・・・・・2歳
伊達政宗・・・・・・2歳
こうしてみると政宗が若いのがよく分かりますが、意外なのは明智光秀と石田三成の年齢ですね。なんとなく明智光秀は信長よりも年下だと思っていたし、家康と三成の歳が18も離れてたとはねぇ…
さてさて駿府城へ出立した藤木、途中伊良子とすれ違いますが目を合わせません。
ボクシングとかでさ、試合前から闘志剥き出しで挑発し合うのはお約束の光景ですが、あれはあれで意味があるんですよね。にこやかに握手するような関係からじゃ本物の闘いは生まれないんですよ…
そんなこんなで御前試合に出場する剣士が勢ぞろい。
第1試合を戦う藤木源之助、伊良子清玄両名の後ろにいる屈木頑之助と笹原修三郎が第4試合で、その後ろにいる月岡雪之介は第3試合で黒川小次郎という剣士と戦うことになります。駿河城御前試合は全11試合ですが、まぁ第1試合だけでお腹いっぱいですわ…
さてこの中にはこんな人もいました。
座波間左衛門!
第2試合に登場することになる剣士です。身体中傷だらけですが、これは容姿端麗な者に斬られることに快感を感じてしまうという性癖によるもの。究極のドM剣士です(笑)
座波間左衛門とはいとこ同士なんですが、夫の仇討ちということでこの後なんとか座波を倒し、駿河城御前試合の数少ない生き残りとなります。がしかし、試合後に徳川忠長がきぬに夜伽を命じるわけです。きぬに想いを寄せていた藤木源之助と第8試合勝者の小村源之助はきぬを連れて逃亡を図るものの、追っ手として選ばれた笹原修三郎と第7試合勝者の片岡京之介とそれぞれ相討ちとなり、最後にはきぬも自害して出場者はことごとく死亡するというのが原作の駿河城御前試合の結末です。藤木がきぬに想いを寄せていたというのがこのシグルイからは信じられませんが、まぁなんにせよ救いようのない結末ですよ…
明智 システムが止まると、パパも泊まる。
Instagramもどきパネルから こんばんは
岐阜の関市に「出逢いの森」という犬の保護施設が在ります。
そこには一般のワンコも利用出来るドッグランもあるので
ひさしぶりに走りに行ったら
ソラより小さな豆柴犬ちゃんに会えました。
富士野荘出身のコタくん(黒柴)とガクくん。
クンクンごあいさつの後は仲良く交流出来て
楽しい時間を過ごしました。
ところで、柴犬に限らず
ワンコは飼い主を慕って待てる
律儀な生き物です。
渋谷駅のハチ公の物語映画は
多くの人々の胸を打つ名作です。
樹木希林さんを偲ぶ報道で
あの「万引き家族」が彼女の集大成として
再びメディアが大袈裟に取り上げてますが
カンヌ最高賞であっても
興業収入は「シンゴジラ」をはるかに下回りました。
「シンゴジラ」68億「万引き家族」40億
ちなみに「君の名は」300億
ジャンルは違えど
わずか300万予算で仕上げた
「カメラを止めるな」は短期間で
アッという間に10億超えでした。
「万引き家族」は中国でも公開されて
人気だそうですが
日本の家族像を卑しめる映画が
中国でもてはやされるということが
どういうことか日本人なら
分かると思います。
万引きで生計を立てられる家族なんて
いるわけがありません。
文化庁が、こんな下劣な映画に
国民の血税を使い、助成してるとは
官僚は腐り切っております。
道徳の授業に
「万引き家族」を見せたいと言う教師がいました。
「ハチ公物語」を見せたいと言う教師がいました。
私は断固「万引き家族」なぞ見せたくはない!
ハチ公については
ハチ公は忠犬などではなく
単に渋谷駅の屋台の焼き鳥が
目当てで通っていたという
ハチ公焼き鳥説が存在していました。
ハチ公を解剖したら胃の中から
焼き鳥の串が出て来たというのです。
しかし…
ハチ公は朝の9時と夕方の4時の二回
毎日渋谷駅に行っています。
朝の9時に屋台はないし、むしろ屋台の多い
渋谷駅周辺の焼き鳥屋からは汚れた犬として
追い払われたり、酷いイジメを受けていたと
証言が多数ありました。
新聞に忠犬として掲載されて以来
人々から称賛されて
焼き鳥屋さんの多くが
手のひらを返すように
ハチ公に焼き鳥をあげ始めたそうな。
ハチ公は大好きな英三郎博士を慕い続け
渋谷駅の改札口で
いつまでも博士の帰りを待っていたと
さらなる裏付けがなされました。
ハチ公の忠犬ぶりを揶揄することは
ワンコの健気さを焼き鳥が欲しかっただけだと
すり替えることによって
夢ある物語をなきものにする狙いが
透けて見えましょう。
ソラだって
確かにチキンの誘惑には勝てないかも知れません。
けれど
ソラはちゃんとお留守番した時など
いつまでも玄関口で待っててくれるのです。
ワンコをナメちゃあいけません‼
今は私たち国民が従来から持っている
ヒーロー像を
「実はこうだった」とか
「本当はこうだった」とか
タイトル付けて
どんどん消し去ってゆく風潮にあります。
大河ドラマの「西郷どん」のデタラメな
歴史扱いぶり(個人的見解)のせいか
視聴率は11%から13%程度の低迷さ。
鹿児島の人の中には不快に感じている方も
多いでしょう。
もはや大河どころか小川ドラマですね。
東京オリンピックの2020は
主人公は明智光秀だそうです。
岐阜の明智村がまたくだらぬにわか観光地に
なりそうな気配ですね。
逆賊扱いの明智光秀を
さぞかしヒーローにすり替える
こざかしさがバレバレですよ。
なんにつけ
ハチ公ヒーロー像を
ハチ公ヒール像に替えるような
馬鹿馬鹿しい風潮に
私たちは洗脳されてはなりません。
日本国民のヒーロー犬は
「南極物語」と「ハチ公物語」に
集約されていると思います。
ネグレクトや虐待問題を提示しているかの
ように見える是枝映画には爽快さや
清々しい感動はありません。
そこには陳腐な権力批判がシレッと
重苦しくあぐらをかいているだけです。
マスメディアが
どんなに称賛しようと
明日の子どもたちに見せるに値しない
駄作の代表例だと考えております。
内容はともあれ
樹木希林さんの存在感たるは
さすがでございました。
富士カラーのCMと寺内勘太郎ドラマは
忘れられません。
ご冥福をお祈り申し上げます。
『皆さん おやすみなさいでしゅ』
長く書き列ねてしまいました。
ブログは自分の気持ちに嘘をつくことなく
書いてこそ書き甲斐があるというもの。
どう思われるかを気にしていたら
続けられはしませんってネ。
どーもDeath(=゚ω゚)ノ
朝起きてから🐕🐕の散歩しに外に、、
まだ道の駅の施設がオープンしてないので周りをテクテク。
周りにはヤマボウシが沢山あって美味しそうな果実がたわわに実ってます。
散歩終わって第1駐車場から第2駐車場へと移動して、、、
売店が開店したので朝食にパンを買ってきました。食べ盛りは2個Death(=゚ω゚)ノ
開店前から行列出来てました。
コロッケパン。シンプルなコロッケ。
あんバターコッペ。懐かしの味です。
出来たてはパンがもっちりふかふかしていて美味しいですね。
その後目的地に向かう途中、「道の駅日光」に寄ります。
いろは坂をヒーコラ登って明智平にて小休止をば。
名物「明智だんご」をいただきました。
その後、かな〜り久し振りの「華厳の滝」に向かいます。
歩いて降りれなかったっけ?どうだっけ?って感じつつエレベーターで100m降ります。
着いた先に見える景色は形容し難い迫力があります。↑を見てる時は、、、
↑このくらいの近さに感じます。いや、もっとかな?
久し振りの瀑布の迫力を堪能した後は、、、
中禅寺湖湖畔の「歌ヶ浜第1駐車場」にトイズボックス を停めてテクテクお散歩。🚶♂️🚶♀️
男体山をバックに記念撮影なぞ。
天気が良くなってくれたので青と白のコントラストがある良い景色が
綺麗な水と澄んだ空気が気持ち良い湖畔の散歩でした。
つづく(=゚ω゚)ノ
一の橋から奥之院へ向かう参道の両脇には、たくさんのお墓や供養塔があります。
それをちょっとご紹介致します。
ここが一の橋です。
ここからスタートします。
加賀藩前田家です。
写真で見ると、そんなに大きく見えないかもしれませんが、実物は結構大きくて迫力があります。
「おぉ~」という感じです。
こういうシンプルな仏様もいいですね。
素朴さに惹かれます。
このように、地面にじかに墓石が立ててあるお墓が多いです。
じかに立てた墓石は、年月が経つと傾くんですね。
あちこちで倒れた墓石を見ました。
でもそれも200年前とか300年前のお墓ですから、自然の一部となっていました。
左が武田信玄公、右が勝頼さんの供養塔です。
勝頼さんのお話は、人間が死んだあと、何が心に引っかかるのか、何が自分を苦しめるのか……を教えてくれています。
苔むした供養塔がなんとも言えない世界を作り出しています。
上杉謙信・景勝公の霊屋です。
中には位牌が入っているらしいです。
伊達政宗公の供養塔です。
この日の伊達家墓所の「気」はサラサラでキレイでした。
石田三成公の供養塔です。
30歳の時に生前葬をして、自分で立てたそうです。
明智光秀公の供養塔です。
パッと見ただけではわかりにくいのですが……
このように丸い石の部分(水輪)が割れています。
汗かき地蔵さんが安置されたお堂です。
右手に「姿見の井戸」があります。
井戸をのぞき込んで自分の姿が映らなかったら、3年以内に死ぬという噂があります。
遠慮して、そ~っとのぞくと見えにくいので、思いっきりガバッ! と身を乗り出すことをおすすめします。
参道はこのようになっています。
舗装された道は問題ないのですが……
舗装されたところから一歩入ると、こんな感じです。
壊れたり、倒れたり、荒れ果てたところが多いです。
古いので大丈夫かと思いますが、下に壊れたお墓があるかもしれないので、土のところを歩く時は、「踏んでいたらすみません」と謝ることをおすすめします。
紀州徳川家の墓所です。
さすが徳川御三家、立派ですね。
その奥さん方の墓所です。
えーっ! 差をつけすぎでは? と思ってしまいました。
秀吉さんのところはこの石段を上って行きます。
中央が秀吉さんの供養塔です。
昭和になって立てられたそうです。
信長さんの供養塔もあります。
本の口絵に載せていますが、小さいので見にくいかもしれません。
こちらは、私がいいなと思った墓石です。
墓石の下部にお地蔵さんが立体的に彫られているのです。
参道脇にあって、どこの森田様なのかわかりませんが、素敵なお墓をお持ちだな、と思いました。
私の両親は、入るお墓がすでにありますが、墓石を新しくするのだったらこのデザインで作ってあげたい! と思っています。
こちらは、高野山の全部のお墓の中からどれかひとつ、〝自分用〟を選びなさいと言われたら、これを選ぶ、というお墓です。(私個人は永代供養希望なので、区画で仕切られたお墓は必要ないのです)
このように、有名な戦国武将から一般人まで、たくさんのお墓や供養塔を見ながら歩く参道となっています。
そして、参道のゴールは奥之院……空海さんの御廟です。
高野山のお墓や供養塔についても書いています。
1冊丸々、高野山と空海さんの本です。
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妙心寺『京都市右京区』に行ってきました。
臨済宗妙心寺派大本山の寺院です。
妙心寺の近くで用事があり お寺にも行きたいと思い、かれこれ三年ぶりの参拝ですが今回は鈴音だけ。
妙心寺はとっても広くてお寺の敷地には46の塔頭寺院があり一つの街みたいです。
本尊の釈迦如来さまが祀られてる仏殿は閉門らしく、僅かに時間が過ぎてて拝観出来ませんでした😅
総合受付そばの『大方丈』へ。
こちらでは阿弥陀如来さま、観音菩薩さま、勢至菩薩さまが祀られてます。ここは迄で撮影もOKです。
この建物の境内には馬に乗った黒の冠?の武士らしきがおられました。
畳に座り瞑想してると阿弥陀如来さまが私の頭に白い毛糸の帽子のようなのを被せて下さったのです。
するとお坊さんの姿になるのです『変身😄』
薄い金色?黄土色?のような法衣で同じ色の帽子も被ってます
他にも紫の袈裟のお坊さんが仏像に向かって座っておられました。
黄土色のお坊さんは、重ね着の着物の女の人と烏帽子の高貴な感じの人と話をしてます。
会いたかったですみたいな会話です。
そのお坊さんとは 境内の石畳を歩いてる時に すれ違ってたんですが昔の光景が見えただけと思ってました。
でも、この人って、ひょっとして過去世の私??
京都とも縁があって京都でもお坊さん?
それとも京都に来てただけ?
今世、二年間だけやけど、京都で働かせてもらった事があるし、過去世でも京都と縁があったことにしとこう😄
もぅ少し知りたいこともあり、瞑想したかったけどお寺の人が法堂と明智風呂を案内して下さる時間となり法堂へ。。。
法堂と明智風呂は撮影禁止です。
法堂では天井に描かれた雲龍図と国宝の釣鐘を見る事ができます。
録音された釣鐘の音を聞かせてもらえますが感動です。
龍の絵は12メートルもあり見る角度により、龍さんが下を向いてたり、登り龍に見えたり。
本当に動いておられて迫力ありすぎ🐲
次に浴室へ。。。
明智光秀さんを弔う為に建てられた『明智風呂』だそぅです。入り口に位牌もありました。
本能寺の変のあと、明智光秀さんが妙心寺に来られてたそぅですが明智さんの死後5年が経過してから『明智風呂』を建てられたそぅです。
案内の人の話では明智光秀さんを堂々と供養することが出来ず、お風呂と言う形になったとか。
お風呂で、まさか供養はしてないよねって思わせる為に浴室と言う形にされたとか。
聞き間違えてたらすみません🙇
46の寺院の中には、お参りさせてもらいたかった伊達政宗さんゆかりの伊達家の菩提寺『蟠桃院』があります。
でも、お寺は非公開となっており、外から手を合わさせていただきました
武将さん関係では、石田三成さん開基。石田氏菩提寺の『寿聖院』や
真田幸村さんの供養墓の一つがある世界文化遺産の龍安寺。
また真田家の菩提寺である『大法院』もあります。
『玉鳳院』には織田信長さん、武田信玄さんの石塔や、豊臣秀吉さんの長男鶴松くんの廟があるそぅです。
また妙心寺で今川義元さんが臨済禅を学ばれたとか。
他にも色々あるみたいですが 武将さんとも縁の深いお寺だったんですね。
他に見えた事なんですが、あるお堂の前で何人もの冠を被った武士?貴族?が石段を上がってる後ろ姿が見えたり、荷車を何人かで押してお寺の門から入って来られた農民らしきの人々もいました。
46の寺院は殆どが非公開『3寺院はいつも入れるとか』ですが、特別公開で入れる時があるので、前もって調べてから、その時も来て下さいねと案内の人が言われてました😄
今まで何度か参拝してますが、46寺院、全部行けてませんので今度は行けてないとこにもお参り出来ますように。
長々と読んでいただきありがとうございましたm(__)m