モバゲータウンで過激派が問題化
過激派見てるだけでも面白いどんだけ~♪
※ 特別機動捜査隊 まえがき
捜査担当班の詳細については、を参照、また、(本放送)とはNETでの放送、(再放送)とは東映chでの放送を指します。出演者については配役名を略していますが、本文で書くこともあります。なお、出演者をもっと知りたいときは、で検索。
また(出演者)は、エンディングで、一列~三列で表示された男優・女優に限定しました。
【#543 皆殺しの詩】
(本放送)1972年3月29日
(再放送)2016年2月18日
(脚本)小川記正
(監督)田中秀夫
(協力)無し
(協賛)無し
(捜査担当)三船班
田中係長(山田禅二)、鑑察医(仲原新二)、鑑識課員(西郷昭二)、
関根部長刑事(伊沢一郎)、石原刑事(吉田豊明)、白石刑事(白石鈴雄)、
水木刑事(水木襄)、畑野刑事(宗方勝巳)、三船主任(青木義朗)
(出演者)
北条清、瀬川由紀、芦川洋、宗田政美、多田藤憲、長谷川弘、小関容子、武藤英司、
吉田義夫
(あらすじ・予告篇から) ※当時のナレーション(=青木義朗)をそのまま聞き写しています
ヒッピー劇団が主宰する乱交パーティーの最中(サイチュウ)、1人のやくざの刺殺死体が発見される。
逮捕された一味の麻薬患者の女から、ヒッピーとやくざの関係が暴露された。
巧妙に逃げ回り、ヒッピーの集団を操(アヤツ)りながら、この男が企む真の目的は何か!?
中年男のちょっとした遊び心が、社会からの転落へとつながっていく!
追いつめられた親子の愛情、その行く手には、第2第3の罠が仕掛けられていた!
狂気のように機関銃を乱射する男の胸に、去来するものは何か!?
次回、「皆殺しの詩」に御期待ください。
(備考)
(視聴録)
ある夜、水明神社境内では怪しげなテント芝居が催されていたが、実は暴力団員とヒッピー劇団員が仕組んだ乱交パーテイーでもあった。そこへ警察が検挙になだれ込むが、全員検挙の跡に匕首で喉を突かれたおおえだ組・坂井直次(芦川洋)の死体が発見された。検挙された大野(矢野間啓二)ほかのヒッピーは、おおえだ組内の争いで、坂井の女を寝取ったおぐり(未詳)の仕業というが、リーダーの杉田よしお(北条清)のことになると口をつぐむのだった。
そして、乱交パーティーの観客は釈放されることになったが、今井(武藤英司)ほか6人はヒッピーに尾行されていた。また、検挙された女性ヒッピー・西村美沙(瀬川由紀)は、一流企業の常務の父(吉田義夫)と母(小園容子)と暮らしていたが、父は今でも沖縄戦線の部下・樋口(長谷川弘)と交流する元軍人で気性も激しく、家出してヒッピーになった原因もそこにあるようだった。それでも、西村は身元引受人として美沙の釈放に付き添ったが、帰り道に杉田の一味に美沙を奪われてしまう。
その後、留置されていた赤い服の女(未詳)が、美沙への嫉妬もあり杉田のアパートを自供、三船班はアパートに踏み込むがすでにもぬけの殻であった。そんな中、渋谷区で他殺体が発見されたとの知らせに駆けつけてみると、おおえだ組・おぐりが鉄パイプ状のもので殴打のうえ絞殺されていたのだった・・・。
#451以降では初顔あわせの、小川記正脚本、田中秀夫監督。どうなるか興味津々の初見でしたが、再見しても感想は同じ、どうにも相性が悪い印象はぬぐえませんでした。たぶん脚本内容は(いつものように)膨大なものだったと思いますが、かなり各場面が独立した感が強く見えました。脚本通り撮影・演出したものの時間オーバーになってしまい、フィルムを切り貼りしたのではと思うくらいの独立感で、結局殺人事件の真相には触れることなく、ある人物の語った台詞のとおりだったのかなと、消化不良の作品でもあります。
小川記正脚本を上手く仕上げるのは、やはり吉川一義監督が向いているのかと改めて思いました。田中監督は、元持栄美や横山保朗脚本のほうが、相性がいいような気もします。
美沙が父親に
「暴力で親のいうことをきかせようとするのが人の道なの?」
と反駁する場面がありましたが、彼女に、「じゃ人の道って何なの?」と質問しても言葉は帰ってこないでしょう。要は知ったような口を叩くなということであり、ソクラテスの「無知の知」はこういうときのためにあるのかなとも思います。
よく、相手の低いレベルに合わせることはないと言いますが、敢えてこちらから目線を下げてわからせてあげるのも一考だと思います。子供に嫌われたくないからすべてを容認するのは、物事の本質から逃げているのであり、この父親のとった態度は個人的には批判をする気にはなりません。ただ、通帳や小切手帳を持っていったことについては、容認したのか気づかなかったのかよくわかりませんが(笑)
ですので、自分はラストの大虐殺シーンは批判するというより同意する気持ちのほうが強く、大虐殺が無いなら、逮捕された大多数の連中で死刑になる人間は皆無でしょう。消化不良の作品がなおさら消化不良になるのを救ったのが、ラストシーンだろうとも考えます
昭和40年代の過激派の連中のテロを乗り切ったのは、国や国民を思う戦中派の人たちがまだまだ健在であったからだと考えます。今は世論ばかり気にして、左右両方ともフラフラの状態ですが、そういう意味でも当作は彼らが(思想も含め)ぶつかりあった、終焉的な印象のある作品に見えました。
(2017年12月18日 全面追加)
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姫さまは好きすぎて尊すぎてお名前で呼べずなくて姫さま呼びっていう姫様過激派です。